この夏、甲子園という檜舞台に立たなかったにもかかわらず、最も注目された投手になった大船渡の佐々木投手。“令和の怪物”は、なぜ岩手県大会で姿を消したのか。春から密着取材を続ける、ノンフィクションライターの柳川悠二氏が描く、佐々木の登板回避の裏にあった真実とは――。

(全3回中の2回目/#1へ)

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公式戦後、異例の取材拒否

 2019年の高校野球の話題を独占する佐々木朗希に関して、大船渡は取材規制を強めてきた。とりわけ4月のU-18侍ジャパンの第一次候補合宿で163キロを記録してからは、学校のグラウンドで練習を見学することも難しくなり、対外試合後の取材も禁止された。

 それゆえ、公式戦の試合後は、佐々木や國保陽平監督だけでなく、大船渡のナインを取材する貴重な機会だった。5月の春季岩手大会・沿岸南地区予選の試合後、報道陣は捕手の及川惠介への取材を要請した。佐々木の女房役である及川の苦労話や、配球に関する話題は誰しも興味があった。

佐々木が先発した岩手大会準決勝に訪れた大勢の観客 ©共同通信社

 ところが、取材場所に及川が現れない。大船渡の吉田小百合・野球部長は、「チーム事情」を理由に取材に応じないと岩手高野連を通じて説明した。さらに、会見に立った佐々木朗希に対して、「今日はフォークボールを投げましたか」という質問が飛ぶと、やはり吉田部長が「戦略上の都合でお答えできません」と、横やりを入れた。

 取材に不慣れな学校が、殺到する報道陣への対策として、個別の対応を禁じるのは理解できる。ただ、公式戦の試合後に学校側が取材を拒否することなど、初めてのケースだった。

 たとえば、父の功太さんと祖父母を東日本大震災の津波で亡くしている佐々木に関して、そうしたプライバシーに踏み込む質問が飛ぶことはなかった。報道陣も17歳の高校球児に対し最低限の礼節はわきまえて取材にあたっていた。

 過熱する一方の佐々木への取材だけでなく、中心選手である及川らの取材も規制するのは、彼らを余計なプレッシャーにさらしたくないという配慮なのだろう。そしてもうひとつ、夏の大会で甲子園を目指す大船渡の前に立ちはだかるであろう、シード校の花巻東や盛岡四、盛岡大付属にバッテリーの情報を漏らしたくないという判断だった。