大船渡・佐々木が甲子園のマウンドに立っていたら――甲子園が終盤に近付くにつれて、野球ファンならそう想像せざるを得ない。なぜ彼は岩手県大会で去らなければならなかったのか。春から佐々木投手の密着取材を続ける、ノンフィクションライターの柳川悠二氏が描く、佐々木の登板回避の裏にあった真実とは。

(全3回中の3回目/#1#2へ)

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岩手大会決勝の先発は4番手投手

 岩手大会の決勝終了直後、優勝した花巻東の監督より数倍の報道陣が國保陽平監督を囲んだ。勝てば35年ぶりの甲子園出場となる岩手大会決勝に、國保監督は佐々木朗希を登板させなかった。4回戦で決勝本塁打を放つなど、4番という主軸を打っていた佐々木を、野手としても起用しなかった。 

岩手大会の決勝の花巻東戦の9回、ベンチで國保陽平監督と話す大船渡の佐々木朗希投手 ©共同通信社

 その結果、2対12と大敗した。國保監督は、佐々木を起用しなかった理由をこう話した。

「故障を防ぐため。ここまでの球数、登板間隔、気温……私が判断しました」

 その時、応援席から心ない野次が飛んだ。

「本気で甲子園に行きたくねえのか!」

 すかさず、監督や大船渡ナインを擁護する、岩手訛りの声も飛んだ。

「やめろー、そんな罵声を浴びせるのはやめろー」

 思わぬ形で耳に入ってきた応援席の口論に、國保監督も動揺を隠せなかった。唇を噛みしめ、報道陣にこう告げた。

「一度、ここで(グラウンドでの取材を)終わって良いですか?」

 この日、國保監督が先発のマウンドに送ったのは、決勝までの5試合で登板がなかった変則右腕の柴田貴広だった。柴田は大会前の練習試合で、とりわけ強豪私立を相手に好投が続いていたという。だが、春からの戦いを見る限り、柴田は4番手に位置づけられる控え投手だった。しかも、左打者が多い花巻東打線に、右下手投げの起用は、いわば定石から外れる采配だった。

 柴田は初回から強打の花巻東打線に捕まり、6回までに9点を奪われてしまう。試合後の柴田は大粒の涙を流し、ひとりで敗戦を背負い込んでいた。

「朗希たちの夢を壊してしまって……申し訳ない」