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 佐々木にとって、花巻東は特別な相手だった。成長痛に苦しんだ中学時代、花巻東の佐々木洋監督に紹介された青森のクリニックで、高校時代の大谷翔平も経験したリハビリに励んでいた。

 花巻東からも熱心に勧誘を受け、佐々木は中3の12月頃まで進路を悩んだという。最終的に大谷を育てた経験のある花巻東ではなく、大船渡を選んだのは同じ地元の仲間と甲子園を目指したかったから。それに尽きる。

佐々木が零した「今は……言えないです」

 2年半の高校野球生活でようやく巡ってきた花巻東との公式戦初対決を、佐々木はベンチから見守ることしかできなかった。

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「(監督の判断は)ありがたいことだと思います。その分、自分も将来、活躍しなきゃいけないと思います」

岩手大会決勝で花巻東に敗れ、取材に応じる大船渡の佐々木投手 ©共同通信社

 試合後、私は「花巻東ではなく大船渡を選んだことを後悔していないか」と佐々木に質問するつもりだった。しかし、失意の佐々木にはとても訊けなかった。代わりに、國保監督に学んだことは何か――そう質問した。この日、一番長い沈黙のあと、佐々木は言葉を絞り出した。

「今は……言えないです」

 故障のないまま高校野球を終えた佐々木は、次のステップで大成し、本当に球史に残る大投手へと成長するかもしれない。だからといって、数年後、十数年後に、國保監督の今回の英断が正しかったと評価されるのだろうか。

 確かなことは、ひとりの将来を守るために、佐々木だけでなく他のナインの夢を犠牲にしたことだ。國保監督の迷采配に、大船渡のナインが振り回されたようにしか私には見えなかった。

 もしかしたら決勝で登板した以上の傷を、佐々木は胸に負ったのかもしれない。