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2019/08/19

source : 週刊文春デジタル

genre : エンタメ, スポーツ, 社会, 教育

 194球という球数は、佐々木にとって公式戦では最多の投球数だった。この緊迫した展開の中で、佐々木を続投させるにしても、力の落ちる控え投手を起用するにしても、大きな勇気が必要だったに違いない。米国の独立リーグを経験し、肩やヒジの疲労を第一に考えて佐々木を指導してきた國保監督なら、本心としては継投策に出たかったはずだ。しかし、勝利のためには、佐々木の続投しか考えられない。そうした迷いに包まれているうちに、延長12回となり、佐々木の球数も194球に達していた。

 試合後、國保監督はいつものフレーズを口にした。

「今日もケガなく終われて良かったです」

 大船渡の試合は連日、徹夜組を含めて高校野球ファンが球場を埋めた。12時半開始予定の試合に、プロのスカウトが5時に来て開場を待つ列に並び、バックネット裏の良席を確保するのも異例の光景だった。

「佐々木温存」の美談の陰に感じた疑念

 盛岡四戦の翌日に行われた準々決勝の久慈戦で、國保監督は佐々木の疲労を考慮してマウンドに上げず、ここまで4番を打っていた佐々木を野手としても起用しなかった。194球を投げた翌日である。しかも、盛岡四より戦力的には見劣りする久慈が相手。登板回避は当然の判断であろうし、この点に関しては佐々木も納得の上だったに違いない。

 國保監督は、第三者にも意見をあおぎ、佐々木の起用を決めていると明かした。

「年間を通して選手にアドバイスをいただいている理学療法士の方、医師、トレーナーの方。さらには球場の雰囲気や相手の対策、自分達のモチベーション。いろいろなことを複合的に判断して、起用を決めています」

岩手大会の盛岡四戦で2点本塁打を放った大船渡の佐々木朗希投手 ©共同通信社

 代わりに先発した身長160センチの大和田健人が5回までパーフェクトピッチング。しかし、初安打を許した6回に2失点、7回にも2点を奪われ同点に追いつかれてしまう。

「イニング途中で、(2番手投手を)行かせても良かったかもしれないですけど、子どもたちが一番力を発揮しやすいのはイニングの頭からかなと。プロなら途中からでも抑えられるかもしれませんが……」(國保監督)

 結果、交代のタイミングを逸し、大和田を引っ張りすぎてしまう。10回裏には大和田に代わってマウンドに上がっていた和田吟太が一打サヨナラのピンチを招く。まさか佐々木の出場がないまま敗れ去るのか。球場全体がざわついた。

 ようやく11回に2点を勝ち越し、大船渡は久慈に勝利した。佐々木を温存し、チームが一丸となって勝利を導いた――試合後はそんな美談仕立ての報道が相次いだ。

 だがやはり、エースで4番の佐々木が試合に出ることなく敗れ去るような試合展開を、選手たちが納得しているのかという疑念は募るばかりだった。