本書の主張は簡単明快。経済格差が縮まるには、常に流血の大惨事が必要だった、ということだ。戦争。革命。文明崩壊。疫病。数十万人単位で人が死ぬくらい社会が激変しないと、金持ちが既得権益や財産を手放したりはしない!
経済格差の拡大は現代社会の大きな課題とされる。本書は多くのデータや既往研究をもとに、石器時代以来の各種社会における経済格差の状況と、その背景にある力学を描き出す。社会が安定して豊かになると、どこでも必ず格差は開く。そして、それが縮まったわずかな事例は、必ず死と暴力に彩られる!
それを嫌と言うほど描き出した挙げ句、「何かを願う時には、よくよく注意する必要がある」という一文で本書は終わる。つまり極端に言えば、血みどろの騒乱と殺戮を引き起こす度胸もないくせに格差縮小とか口走るな、と著者は嘲笑しているのだ。
開発援助分野の評者としては、露骨にケンカを売られているわけで、心穏やかではない。だからかなり眉にツバをつけつつ読み進んだ。著者の議論はあまりに大風呂敷では? 特に一九世紀から二〇世紀の、社会経済の大変化はどうなんだ? 石器時代と同列に扱っていいのか? 人口変化も生活水準も人権意識もすべて変わった現在、格差の力学だけが同じなのか?
だがもちろん、評者がすぐ思いつく程度の反駁(はんばく)は、著者もきちんと議論を展開していた。社会騒乱なしの各種格差解消要因が、実にショボいものでしかなかったことを、本書はグリグリ描き出す。人は強欲で自分だけはかわいい。善意や社会の良心に頼るやり方は、どうしても限界があるのだ。
ではどうしようか……本書にも名案はない。そして急に人々が格差解消に目覚める可能性も完全に否定するわけではない。でもそれが奏功する可能性がいかに小さいことか。
ただ一つだけ批判しよう。いま、世界の格差では奇妙なことが起こっている。各国の国内格差は拡大、国同士の格差も開いている。でも、世界の全人口で見ると、格差は縮まっているのだ。
なぜか? それまで世界でもっとも貧困者の多かった中国とインドが急激な成長を遂げたからだ。そしてこの巨大2ヶ国で貧困者が大幅に減り、所得階層を上がったことで、世界の所得分布は均等化した。すると実際には、見方次第では著者の考えていないような形で格差解消が進む可能性はそれなりにあるのでは? 底辺社会の急成長が大きな要因になるのでは?
だがそれで、現状の社会内部の格差解消が不要になるわけでもない。格差解消の難しさについて、本書はきわめて精緻な(そして厳しい)実像をつきつける。それに取り組もうとする者は、だれであれ本書を避けては通れないだろう。
Walter Scheidel/オーストリア生まれ。ウィーン大でPhD(古代史)を取得。現在カリフォルニアのスタンフォード大学人文科学ディカソン教授、古典・歴史学教授。著書は多数。
やまがたひろお/1964年生まれ。評論家・翻訳家。主な訳書にピケティ『21世紀の資本』、トゥーズ『ナチス 破壊の経済』など。