『キュー』(上田岳弘 著)

 知と欲望とテクノロジーによる飽くなき伸張の果て、ついに人類は世界そのものと一体化して雲散霧消する――。人類の命運を描き続けてきた上田岳弘の芥川賞受賞第一作は、さながら最初のベストアルバムというべき趣である。

 物語は三つの時代を交錯させながら進行する。平凡な医師である立花徹を中心とした現代日本、立花徹の祖父・立花茂樹が石原莞爾とともに世界最終戦争を構想する戦中戦後期、そして七百年のコールドスリープから目覚めた天才青年Genius lul-lulが目の当たりにする二十八世紀のポストシンギュラリティ世界。これら三つの時代の登場人物たちが発するモノローグの集積を通して、人類の完成=消滅の物語が紡ぎだされる、という寸法である。

 あまりに壮大なスケールに尻込みしそうになった読者もいるかもしれない。だが心配は無用だ。なるほど気が遠くなるほど大きな物語だが、スピード感ある筆致のおかげで、ぐいぐいと引き込まれる。感覚的に形容するならば、大きいけれど軽い、といった印象である。

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 なお、上田作品において軽さは欠点ではない。それは作品が同時代の優れた研究や創作と共時的に結びつくための条件のひとつである。重い作品は周囲の事物を呑みこんでしまうが、軽い作品は周囲の事物とともに星座をかたちづくる。つまり統合ではなく接続を可能にする。マジックリアリズムと称されることのある上田作品だが、この点でそれとは大きく異なるのではないかと思う。

 たとえば、石原莞爾と祖父が実行する世界最終戦争、つまり垂直の力と水平の力の戦いというプロジェクトは、M・ナイト・シャマラン監督の怪作『ミスター・ガラス』を想起させずにはいない。また、自然法則さえも突然変わりうるという世界観は、哲学の最前線である思弁的実在論の旗手カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』などとも響きあうだろう。さらに、本作全体の隠喩ともいえる石原莞爾の「外すための予言」というモチーフは、シンギュラリティ以後の人類を予見して話題となった歴史家ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』のモチーフでもある。

 そのようなわけで、純文学ファンのみならず幅広い読者層に本作をおすすめしたい。先に挙げたような優れた文物とまぎれもなく同時代を生きる小説作品として、本作が人類の知と欲望の現在を映しだす巨大な星座の一員であることに、有志具眼の読者は気づくことだろう。

 なお、冒頭でベストアルバムと述べたように、本作には上田作品でおなじみの人物や事物が集結している。太陽も惑星も塔も重力も私の恋人も異郷の友人も、ユングも石原莞爾もニムロッドもオリンピックも、つまりオールスターキャストである。ファンにはたまらない。

うえだたかひろ/1979年、兵庫県生まれ。作家。早稲田大学法学部卒業。2013年、「太陽」で新潮新人賞を受賞しデビュー。15年「私の恋人」で三島賞、18年『塔と重力』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、19年「ニムロッド」で芥川賞を受賞した。

よしかわひろみつ/1972年、鳥取県生まれ。文筆家。慶應大学卒業。『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』など著書多数。

キュー

上田 岳弘

新潮社

2019年5月29日 発売