「官邸官僚」を通じて、安倍側近政治の内実に肉薄した力作。元「官邸官僚」の一人であり、この本に登場する人物のほとんどを直接知る私としても、極めて興味深く、一気に読み終えた。
また、安倍政権が「経産省内閣」と揶揄されるように、「官邸官僚」の中には私の旧通産省時代の先輩、後輩も多い。代表格は、今井尚哉首席秘書官(政務担当/3年後輩)、長谷川栄一総理補佐官(内閣広報官/3年先輩)だ。あの加計問題で国会に招致された柳瀬唯夫元秘書官も私の5年後輩に当たる。
そうした私の人間関係や経験に照らしても、この本は良く取材して書かれている。本書を読めば、なぜ、第一次安倍政権が無様な形で短命に終わり、第二次安倍政権がかくも高い支持率で長期にわたっているのかがわかる。そう、一次と二次の違いは「官邸官僚」の出来不出来の違いなのだと。
その「官邸官僚」が本書でも批判されるのは、その権限が法令上極めて曖昧なのに「虎(総理)の威」を借りて絶大な権力をふるうからだ。例えば、総理の分身である総理秘書官の所掌事務は、内閣法上「総理の命を受け、機密に関する事務をつかさどり、又は臨時に命を受け内閣官房その他関係各部局の事務を助ける」としか書かれていない。総理秘書官が「黒子」と言われる所以だ。しかし実際は、外交・安全保障から、アベノミクスの立案等の内政問題にまで深くかかわり、中央省庁の幹部人事にまで口を出す。安倍内閣に限ったことではないが、「官邸官僚」の権力の源泉は「形式上の文言」ではなく、総理との近さ、その忠誠心に基づく全幅の信頼関係から生まれてくるのだ。意外に思われるかもしれないが、今をときめく菅義偉官房長官でさえ、総理と一心同体の今井首席秘書官にはかなわない。
ただ、こうした「官邸官僚」の存在自体を一概に批判するのも間違いだろう。彼らの民主的正当性は、ひとえに国民の代表者たる総理の指示や意向に沿って仕事をすることで生じる。また、今の国会議員の資質、レベルを考えれば、およそ政権を運営しようとする時、「政治(官邸)主導」が叫ばれる今日なら尚更、行政府の組織や機能を熟知した「官邸官僚」を総理の身の回りに置いておくことは必要不可欠だからだ。
そう、その「官邸官僚」が勝手に独自に動くのであればともかく、その仕事ぶりを総理が黙認していることを含め、実際に総理が彼らをそのポストに留めおく限り、その責めは一身に総理が負うべきなのだ。森友・加計問題で「官邸官僚」の暗躍が取り沙汰されたが、それは「秘書官がやったこと」と総理が逃げるわけには絶対にいかない。それほどの「一心同体性」があり、単に、大臣とその部下たる局長という関係をはるかに超える。だからこそ、本書で厳しく問うた「官邸官僚政治の罪悪論」の意義は極めて大きいのだ。
もりいさお/1961年、福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。出版社勤務を経て2003年ノンフィクション作家に。18年、『悪だくみ』で「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞」受賞。
えだけんじ/1956年、岡山県生まれ。衆院議員。96年、橋本内閣で内閣総理大臣秘書官として、行革推進の旗振り役を務めた。