1970年作品(79分)/角川映画/3800円(税抜)/レンタルなし

 名優の訃報が続く。今度はよりにもよって松方弘樹だ。筆者としても仕事を通じてお世話になってきた、思い入れも一入(ひとしお)な役者だった。無念だ。

 松方というと、豪放磊落な「昭和の映画スター」というイメージを持たれる方も少なくないかもしれないが、スターとして一本立ちするまでに、実は長い道のりを要している。

 今週からしばらくは、そんな松方の役者人生を追いたい。

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 松方は一九六〇年代前半に父・近衛十四郎の主演作や北大路欣也との二世コンビを通じて、東映の時代劇映画で売り出される。が、当時は時代劇の動員は落ち目で、東映はすぐに任侠映画に切り替える。松方は脇に回ることが多くなり、序列を下げていった。

 そこで六九年、会社の指示で大映にレンタル移籍することになる。当時の大映は看板の市川雷蔵が早逝し、時代劇スターは勝新太郎のみ。松方は雷蔵の穴埋めを期待されていたのだ。そして、「眠狂四郎」「若親分」といった、雷蔵の当たり役を次々と任されている。

 今回取り上げる『忍びの衆』も、そんな一本である。

 雷蔵主演で数多く作られた忍者映画「忍びの者」シリーズを意識した作品だ。ただ、雷蔵の「忍びの者」は強大な権力者たちと戦う忍者の活躍を描きつつも、その虚しさや哀しさが根底には漂っていた。が、本作は少し趣が異なる。

 雷蔵がニヒルで儚い「陰」のイメージだったのに対し、松方はギラギラした生命感あふれる「陽」。その特性の違いに合わせたのか――これは他のシリーズにも言えることだが――雷蔵の演じた時と作品の雰囲気も異なっているのだ。

 舞台は戦国末期。伊賀忍者・木城の与四郎(松方)は秀吉(戸浦六宏)から、敵対する柴田勝家(内藤武敏)に嫁いだお市の方(藤村志保)をさらうよう命じられる。与四郎は仲間たちと勝家の本拠地・北ノ庄城へ潜入する。

 その攻防戦の描き方が、「忍びの者」との大きな違いだ。あくまでリアルな闘いを主軸にした「忍びの者」に対し、本作は攻める側にも守る側にも、奇想天外なアイディアがふんだんに盛り込まれている。

 大量の土砂が上から落ちてくる落とし穴、お市を守る鉄製の密室といった、城に張り巡らされたトラップの数々。さらには、女に化けて近づく敵忍者、幻術で誘惑して意のままに操る女忍者。こうした劇画的な楽しさは、雷蔵映画では中々お目にかかれるものではなかった。そうした中で松方も若さを活かしたアクションを展開、雷蔵の忍者にはなかった躍動感を見せている。

 雷蔵という高い壁に自分なりの戦い方で立ち向かおうとする、若き日の松方の奮闘をうかがい知れる作品である。