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見よ! 「理由」「安心」「未来」を揃え、どうでもいい話題になった旧・若獅子寮さんとの別れを!

 前のページまでの話は、僕がいつか西武球団が功労者に無慈悲な戦力外通告を繰り出したときに言ってやろうと思っている内容なのですが、残念なことにこの20年ほどの間、コレを言ってやるチャンスはありませんでした。だって、球団が功労者に戦力外通告をする前に、選手がとっとと出ていくから……。もぬけの殻の部屋に「役所に出しておいてください」って離婚届が置いてあるから……。

 しかし、言ってやるまでもなく西武球団は別れの作法を心得ているのかなとも思わされました。それを示してくれたのが、40年に及ぶ長きに渡って西武一筋で貢献してくれた若獅子リョウさんとの別れ。「4年待つ」どころか、もうかれこれ20年くらい「いい加減、戦力外にしろ」「近くに自分でアパート借りたい」「住めれば都」と球団の内外から茶化されてきたリョウさんに、西武球団は活躍の場を与えつづけました。そして「理由」「安心」「未来」が万端整った2019年、ようやく「お疲れさん」と肩を叩いたのです。

 理由、老朽化。

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 安心、新しいのを建てた。

 未来、取り壊した跡地にサブグラウンドとブルペンを作る。

 以上、完璧です。スパーク・ジョイ!

 それでも僕は、若獅子リョウさんとの別れに最後の最後まで抵抗するレジスタンスとして、「古民家カフェ」のボードを掲げ、戦うつもりでした。内装をリフォームし、ファンが集う古民家カフェとして再生するのであると。出世部屋から半分身を乗り出して「映える」写真を撮るのであると。狭山茶ラテとふわふわライオンズパンケーキをインスタにアップするのであると。カフェで猫とか飼っちゃうのであると。

#これでも2017年 #昭和モダンに恋をした #若獅子寮のある風景 #出世部屋からコンニチハ #室内はヒ・ミ・ツ #室外機撮影部 #NOベランダNO洗濯 #禁煙ルーム #廃墟好きな人と繋がりたい #ダルマ男子

 しかし、同じ志を持って「それいいね!」「古民家カフェ賛成!」「選手コラボメニューの案を練ります!」と言っていた同志諸君も、跡地がサブグラウンドとブルペンになると聞いた途端「今すぐ壊せ!」と寝返りやがりました。そこには40年間勤め上げた功労者への惜別の想いは一切なく、ただひたすらにブルペンを楽しみにするキラキラした目が輝いていました。

 9月2日、若獅子リョウさんの「肩たたき(※クレーンが壁面をバキバキ叩くの意)」の日。「週刊文春ではあんな記事を出しておいて、どのツラ下げて取材申請を出してくるのか……」でおなじみの媒体『文春野球』の取材者として、僕は西武球団を訪れていました。2ヶ月前、新しい選手寮が完成した日にはテレビカメラも含めて100人以上もの報道陣が集った同じ場所に、この日はわずか10人ほどしか取材者はいません。

 いわゆる「バンキシャ」と呼ばれる人たちの姿。そんな人たちの間にさえ、別れの寂しさや惜別の想いはないようです。優勝争いと次の取材地への飛行機の手配で頭はいっぱい。僕は「みなさんも一緒に古民家……」と言いかけてその言葉を飲み込みます。もう諦めろ、古民家カフェの夢は終わったんだ、ここにはブルペンが建つんだから、と……。

 取材陣を導く西武球団の広報氏は、涙もなく冷徹に仕事をこなしています。取材陣に配られたシートには若獅子リョウさんの簡単なプロフィールと、ともに過ごした仲間たちからのコメントが載っています。出世部屋で過ごした今井達也さん、高橋光成さん、そして長年に渡りリョウさんの戦力外を強く訴えてきた栗山巧さん。彼らは新しい選手寮の快適さ、サブグラウンドとブルペンへの期待感、今後の改修への高揚感をコメントで語ります。見送りには訪れず、紙一枚で。

「え?」

「栗さんはこないの……?」

「そうか、そうだよな……」

「もうみんな、新しい部屋に移ったあとだもんな……」

「前に住んでたアパートの解体、見に行ったりしないもんな……」

そして、若獅子リョウさんは夏の終わりのセミのように、いつの間にかこの世界から消える

 僕のなかでは「リョウさんお別れの会」の妄想が勝手に膨らんでいました。ファンクラブ会員から選ばれた2000人のマニアと、大報道陣が見守るなかで行なわれる盛大なセレモニー。選手代表として現れた栗山巧さんと中村剛也さんが、バットで壁面に最初の穴を開ける「入刀の儀」で幕開けを告げると、山川穂高さんの「どすこーい」の号令であさま山荘事件みたいな鉄球がリョウさんを破壊していく「解体の儀」へ。一発ごとに2000人のファンがあげる「どすこーい」の声は、こだまとなって秩父山中に響き渡ります。

 あらかたブチ壊したあとは、ファンのみなさんにも一刀ずつバットを振るっていただき、リョウさんを壊していきます。試合でおなじみの電子オルガンは尾崎豊さんの『卒業』を鳴らし、窓ガラスを壊す人々を大いに盛り上げます。メットライフドームから400メートルほどの距離にある尾崎豊さんの墓所からも、風に乗って歌声が聴こえてくるかのようです。

 やがて積み重なる廃材と思い出。後ろ髪引かれる想いを断ち切るように現れたのは愛斗さん、高橋光成さん、藤田航生さんによる花の97年組トリオ。手には煌々と燃えるトーチを掲げ、聖火ランナーとして廃材置き場を目指して走ります。出世部屋跡から身を乗り出す歴代の住人たち。今井達也さん、森友哉さん、松井稼頭央二軍監督らがハイタッチで3人を出迎え、見送ります。

 そしてリョウさんを空にかえす「聖火点灯の儀」へ。思い出を断ち切ることの辛さを分け合うように、3人は同時に「かつてリョウさんだったモノ」に点火します。誰が火をつけたかなんて、もはやどうでもいい。噴き上がる炎は、すべての若獅子たちにとっての青春の残り火です。ここで過ごした日々を胸に刻み、未来へと歩き出すための怪気炎です。その炎で温めた若獅子寮カレーを参列者にふるまい、「メシは美味いね」「ホント、メシは美味いね」「メシが忘れられないよ……」と節目の涙をこぼすのです。

 さようなら、リョウさん――

 ありがとう、リョウさん――

 ……と、なると思っていたのに!!

 取材陣もこなけりゃ、選手もこない!!

 もう完全に「どうでもいいニュース」になっちゃってるじゃないですか!!

今から壊すぞって日なのに、このパラパラっとした人の入り!
ていうか、その辺は手作業か!手でイケる程度の物件か!
「最後まで見守ってるよ」ってレオが来たのかと思ったら、何か違うのがキテター!
いよいよクレーンが動き出したぞ! 思ったよりちっちゃいな!
壁をメキメキやってます! 断熱材が入ってるなんてリョウさんのくせに生意気な!
で、10分後こんな中途半端な感じで一旦作業終了しました!

 10分で打ち切りというのもヘンな話ですが、何と実はファンも選手も取材陣もこないこのクレーン解体ショーこそが「リョウさんお別れの会」だったのです。取材陣を呼んで、写真を撮らせ、リョウさんの最後を見送るセレモニーがコレだったのです。「解体が始まった」などと時事ニュースみたいに報じられていましたが、違うんです、わざわざみんなで集まった「セレモニー」だったんです。実際は10分ほどで解体ショーは終了し、取材陣もすぐに解散し、大した記事にもならなかったのですが、この取材自体が「お別れの会」だったのです。

 セレモニーをやってみてわかったのは、そこには何の需要もなかったということ。

 セミの死体が転がる道を歩きながら、僕はもう本当に終わったんだなと噛み締めていました。リョウさんを惜しむ声や、別れの寂しさは本当にもうどこにもないのだと。夏が終わればセミがどこかに消えるように、「いつの間にかどこかに消えている」程度の存在なのだと。こういう存在になったとき、戦力外というのは美しく完成するのだと思いました。騒がれる戦力外通告なんて未完成もいいところ。「美しき戦力外」は興味や関心を完全に失い、お別れの会にすら人がこなくなるのである、と。

 僕は「古民家カフェ」とプリントしたコピー紙をクシャクシャと丸め、球場を後にしました。そして、いつもリョウさんを眺めていた、道路を挟んだ向かいにある金乗院墓地へつづく高台にあがり、少しだけクレーンで崩されたリョウさんを見下ろしました。リョウさんの向こうには新しい選手寮が見えました。そして、改めてリョウさんを見ました。「やっぱコレはないわ……」と思いました。

 墓地から廃墟を見下ろすのも今年が最後となるでしょう。だが、それでいいのです。リョウさんは、誰からも求められず、惜しまれなくなるまで、働きつづけたのです。そして、晴れて戦力外となり美しく消えたのです。ここまで頑張ったら、もう誰も「あと1年」とか「非情」とか言わないですよね。もう、休んでいいですよね。お疲れ様、リョウさん。たくさん楽しませてくれてありがとう。僕たちはアナタを忘れ、未来へ歩いていきます。

本日9月13日午前10時現在、若獅子リョウさんはあらかた更地になっていました。

 リョウさんが消え、ガランとしたこの場所。

 でも僕たちは寂しくなんかないよ。

 ここには新しいサブグラウンドとブルペンを建てるんだから。

 だから、墓標はいらないよね、リョウさん――

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