一九八〇年一月、著者ゲイ・タリーズのもとに、コロラドのモーテル経営者ジェラルド・フースからの速達が届く。フースは自身の覗き趣味を満足させるためにモーテルを買い、屋根裏から利用者を観察していた。
冒頭で乱歩の「屋根裏の散歩者」を想像したものの、そうした湿り気はなかった。犯罪への興味に発展させないことで、フースは趣味としての「覗き」を満喫し、見たいものが現れるまでの膨大な待ち時間を楽しんでいる。しかし覗き穴(通風孔)へかける情熱も覗きの記録も、その待ち時間の産物だったというならば、ひとの持つ欲望はからりと晴れたコロラドの空の下でも、なんだかかなしい。
ホテルオーナーが覗き魔で、性愛に並々ならぬ関心ありというのは、大変困る。しかし趣味と実益を考えればこんないい商売もないだろう。ホテル屋の子供だった経験から言えることは「構造的に、やろうと思えば出来るだろうな」だ。男女が体を使って遊んだあとの部屋掃除でも、多少の覗き趣味は満足させられる。ゴミ箱に捨てられたボンレスハムや太いソーセージが何に使われたのかも、瓶が陰茎型の(はなはだ怪しい)精力ドリンクが売れる理由も、もしも現場を見たなら刺激と納得に釣りが来る。
簡易宿泊施設で家族経営というと、おそらく男の出番は少ないだろう。フロント業務も掃除も、女性側に偏る。飲む・打つ・買うに興味が走らなければ暇に飽かした「覗き」もありだ。
使用後の部屋から想像するあれこれを、小説に書いたことがある。自分が「あの日あのとき何を見て何を見なかったのか」を考えると、今もなんだか切ない。覗き魔フースは実際に見たので、余計に切なかったろう。「覗き」はとても自虐的な趣味だ。
本書は三十年にわたり覗き日記をつけた男の半生を書いたノンフィクションだが、読み終えてみれば「覗く」という行為そのものに「人間が好き」というあっけらかんとした答えを得たような気分になる。興味深かったのは、彼のふたりの妻が夫の趣味を許し、ときには一緒に屋根裏でのひとときを楽しんでいたことだった。多少男の見栄も潜んでいるかと思わせるフースの日記だが、覗く男を深く掘り下げたタリーズの筆は同時に、妻の存在を道徳を超えた救いとしている。どうやら男と女の道行きに、国の境はなさそうだ。
面白く読んでしまった私もまた、どこかで誰かに覗かれている、おもしろ可笑しい「対象者」なのだろう。
Gay Talese/1932年生まれ。アラバマ大学卒業後、ニューヨーク・タイムズに勤務。独立後はエスクァイア、ニューズウィーク等多くの雑誌で執筆しニュージャーナリズムの旗手と言われる。主著に『王国と権力』『汝の父を敬え』『汝の隣人の妻』など。
さくらぎしの/1965年生まれ。高校時代から家業のラブホテルを手伝い、体験を踏まえた『ホテルローヤル』で直木賞を受賞。