『オール讀物』の二〇一五年十月号で、座談会をしたときだ。安部さんは「僕は信長への興味から戦国時代史に入り、三十年近くかかってようやく分かってきたことがあります。信長が直線的であるとすれば、秀吉は多角的、そして家康は螺旋的だと思うんです。家康は時間を味方にするような生き方をして、何年かを経るとまるで螺旋階段を上るように場所は同じでも、立っている位置が確実に上がっている」と仰られた。見事な比喩だ。やられた。うならされると同時に私は思った。安部さんは家康をつかんだのだなと。いよいよ書くつもりなのだなと。

 あれから一年余、『家康 (一)自立篇』が上梓された。そのものズバリのタイトルで、全五巻の予定という大作の幕開けである。

 物語は家康十九歳から始まる。人質として長じたとはいえ、今川義元の姪と結婚、子供にも恵まれたが、そこで迎えたのが桶狭間の戦いだ。今川方が大敗すると、勝った織田信長との同盟に転じる。天下布武の戦いに従いながら、自身も三河遠江二国の太守となる。が、今度は武田信玄との対決を余儀なくされ、かくて三十一歳の家康は三方ヶ原の戦いに臨み――という運びは、誰もが知る歴史だ。しかし、この『家康』は、これまでとは違う。どう違うかは読んでもらうとして、なぜ違うのかと問えば、やはり安部さんが織田信長から入られたからだろう。

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 織田信長がわからないのは、後の世の徳川鎖国時代に矮小化されたからだというのが、安部さんの御説だ。話を国内の政治闘争に限定して、国際的な視角、経済的な視角が削られてしまったのだ。それを信長物で取り戻した安部さんは、この新しい視角のまま、今度は家康をみた。徳川の世から信長をみるのでなく、織田の世から家康をみる。ぐるりと一巡して、同じ歴史も螺旋階段を上がったように一段高くなる。そこを歩み続ける天下人の生涯が、この『家康』で見事な形を取り始めたのだ。

あべりゅうたろう/1955年生まれ。『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞、『等伯』で直木賞を受賞。他の著作に『信長燃ゆ』『レオン氏郷』『五峰の鷹』『姫神』『義貞の旗』『おんなの城』など多数。

さとうけんいち/1968年生まれ。『王妃の離婚』で直木賞、『小説フランス革命』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。

家康 (一)自立篇

安部龍太郎(著)

幻冬舎
2016年12月22日 発売

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