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新聞や週刊誌がスクープを放つのは当たり前
そういえば甘利明元経済再生相、片山さつき地方創生相の口利き疑惑も週刊文春がきっかけだった。
文春が甘利大臣の収賄疑惑を書いたとき、日刊スポーツのコラム「政界地獄耳」は次のように書いた。
《テレビは官邸の圧力に屈してキャスターやコメンテーターを変えて白旗を上げた。新聞も編集幹部らが相変わらず首相との懇談や食事会に馳せ参じている。軽減税導入で厳しい原稿は書けない。そうやってテレビや新聞が骨抜きにされているうちに、その間隙を縫って雑誌が政権を揺るがしている。本来、新聞がやらなければいけないことを、『文春』や『新潮』がやっている。食事会に行くのはいいが、それで腰砕けになってしまうのはいかがなものか。》(2016年1月26日)
私は「文春砲」という言葉が嫌いだ。新聞や週刊誌がスクープを放つのは当たり前と考えるからである。褒めすぎというか、週刊誌が英雄視されるのはどうなんだという思いもある。下世話ネタの一つですよこれ。
でも「文春砲」と大仰に言われるのは他がスクープを放っていない証拠でもある。政治家のスキャンダルなんて本来なら新聞案件のはず。
上野議員は政務官辞任にあたり「法令に反する口利きをした事実はない。報道は大変遺憾だ」「政務官の立場にあることで誤解を招きかねない」とコメントをしただけで済んだ。雲隠れして得したのだ。