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 しかしスマホとSNSが普及し、個人による情報発信が当然になった2019年の香港では、デモ参加者の一人一人が「セルフ戦争広告代理店」と化すようになった。デモ隊の勇武派は、警官隊との衝突現場で自発的に統制された動きを取っているが、これは銃後のプロパガンダ戦士たちも同様である。

勇武派系のSNSのチャットグループでは、個々の警官の個人情報の暴露が続いている。上記の警官夫妻は、実名と住所、妻側のフェイスブックアカウントがさらされた

 デモ隊は自発的に宣伝部隊や外国語対応部隊を作り、SNSを通じて自陣営に有利な情報を「ガイジン」に吹き込み続け、マズい情報は隠蔽する。たとえ日本語や英語の投稿であっても、不利な意見には外国語部隊が火消しを仕掛ける。

 募金を集め、世界中の新聞にクールなデザインの意見広告を掲載させることも何度もおこなっている。他に私自身が現地で見聞したところでは、デモ隊の日本語話者が日本のジャーナリストやテレビクルーの通訳者に入り込み、自分たちに有利な意見や情勢分析を伝えていく事例も3件観察された。

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 香港は先進国水準の社会であり、若者の平均的な知的水準が高い。しかも英国と中国の「良いところ取り(悪いところ取り?)」をした香港人気質ゆえか、プロパガンダ戦士たちは抜け目がなくて狡猾である。彼らは戦闘における絶対的な火力の不足を、ソフトパワーで国際世論を丸め込むことで補おうとしている。

 しかも、街頭で戦う勇武派の部隊と同じく、個々の人が誰の支持も受けずにそれをやり、割と成果を上げているのである。

こんな世の中はぶっ潰してしまえ!

 ただし、今回の香港デモの問題点は、個々の戦術面では香港人のスペックの高さゆえの強靭さを見せるいっぽう、リーダーがいないせいで全体の戦略が描けていないことだ

「他者の行動を批判しない」というデモの不文律が、リアルかオンラインかを問わず、強硬路線を容認する結果も生んでいる。9月4日に逃亡犯条例改正案が撤回されてからも抗議継続が呼号されているのも、そういう理由だろう。

「もはや条例案の撤回は重要じゃない。香港が独立するか、すべてを失うまで、死ぬまで戦ってやる。地下鉄駅の破壊も、港鉄(鉄道会社)が香港を裏切ったんだから当然です。街への落書きも支持しています」

 9月2日、香港中文大学で開かれた決起集会で出会った女子学生はそう話した。2018年のアジア大学ランキングで東大を上回るエリート校にもかかわらず、彼女と同様に「暴徒」行為を肯定する人は何人も見つかる。集会では学生運動家が「宣伝活動をやるやつも、地下鉄をぶっ壊すやつもみんなガンバレ!」とアジ演説をぶっていた始末だ。

9月2日、全学ストライキを決行した香港中文大学でおこなわれた学生集会。主催者発表で参加者は3万人にのぼった

 デモ隊の原動力は、すでに条例案の撤回ではなく、過剰な暴力を行使した香港政府・警察への復讐心と、若者層の生活の不満をぶつけるものに変わっている。本来、先進国ならどこでも起きている若者の貧困化と閉塞感の高まりが、香港ではちょうど中国の経済支配が強まった10年間と重複して進行したことで、恨みがことさら中国に向いている面もある。

 香港版のロストジェネレーション世代の一斉蜂起は、もはや何のために戦かうのかも不明になりつつあるがテンションは高い。閉塞感が爆発した運動ゆえに、最近は「攬炒(laam5 chaau2:やけくそ、死なばもろとも)」という言葉も流行りはじめた。「こんなくだらない世の中はぶっ潰してしまえ」というジョークを、本気で行動に移す人が徐々にデモの主流に近づきつつある。

8月28日、警察側の性暴力に反対するという触れ込みでおこなわれた「反送中METOO」集会。最後まで警官隊との衝突は起きなかった。こうした穏健な抗議意思の表明も続けられており、「香港のデモ隊は……」と傾向をひとくくりにまとめられない部分もある

 だが、自陣営の肯定的な面をアピールし続けるプロパガンダ戦争のなかで、そうした面はなかなか見えてこない。仮にそれを指摘する意見が出ても「中国からの妨害工作がおこなわれた」という新たなプロパガンダによってすぐに上書きされてしまうからだ。

 香港が大規模デモの嵐に見舞われてから約3ヶ月。デモ参加者たちの強みと弱みがあらわになってきた段階で、香港政府は条例案の撤回を表明した。事態はまだまだ当面は荒れ続けると思われるが、早期の沈静化を望みたい。

写真=安田峰俊