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俺の香港を守れ! 元エリート官僚とノンポリおじさんが「共に戦う理由」

現地取材シリーズ「燃えよ香港」#2

2019/06/21

 #1に引き続き、今回の香港の一連のデモに参加した当事者たちの言葉を紹介していく。次に紹介するのはバリバリのエスタブリッシュメント層、わかりやすく表現すると「香港人同士でもお互いに英語で会話しかねない人たち」だ。

 CさんとSさんはともに香港の有名大学を卒業し、法学などの分野で欧米の複数の大学への留学歴を持つ。いずれも香港政府の官僚として勤務したことがあるが、2010年代前半に退職して民間企業勤務を経てから現在は独立している。そんな彼らは以下のように語る。

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【ファイル2 エリートは英国の遺産を奉ずる】
〔Cさん 31歳 職業:弁護士、元香港政府官僚 学歴:香港中文大学卒業、米国・英国留学経験あり〕
〔Sさん 31歳 職業:実業家、元香港政府官僚 学歴:香港大学卒業、英国某有名大学で修士号取得〕

「香港はいつからこんな街になったのか」と涙が出た

――デモには行きましたか?

S: 9日のデモも16日のデモも行った。ただ、12日の立法会付近での抗議行動は、行こうかと思ったが危険そうなのでやめたよ。

C: 僕は12日も現場を見に行った。衝突現場から300メートルほど離れた歩道橋の上で見ていたけれど、催涙弾のガスが自分の場所まで漂ってきて苦しかったな。30分ほどで帰った。危険だと思ったし、なにより悲しかったからね。香港はいつからこんな街になったのかと涙が出たんだ。過去、例えば2003年のデモ(治安立法制定などに反対して50万人を動員)当時は、警官とデモ隊はすごく友好的だったのに。

――今回の鎮圧がかなり激しかったことをどう見ていますか?

C: 公務員時代、2014年の雨傘運動のときは警察(※キャリア組に相当)で働いていた。当時は非常にじれったい思いだった。政府のオフィス内では、とにかくデモ隊を見下す雰囲気が強かったんだ。「あいつらは仕事がない連中だ」「人生に不満があるだけで、民主化を求めているわけじゃない」ってね。今回、警察側の鎮圧が激しかったのも、そういう連中には暴力を行使しても当然なんだという認識もあったんじゃないか。

S: 催涙弾は雨傘運動のときから使われ出したけれど、当時も非常に驚いた。1967年の文化大革命時代の暴動を最後に、香港人に催涙弾が使われることなんて近年はほぼなかったんだ。しかも、雨傘運動も今回の衝突事件も、基本的には平和的で理性的な運動だ。多少は荒っぽいことがあったとしても、フランスのデモなんかと比べればずっとおとなしい。それに暴力を使うのは許せることじゃないね。個人的に昔の同僚たち(※警察以外の政府部門)に話を聞いても、あの鎮圧にはみんな反対していた。

6月17日夜、タマール公園には大量の抗議文が地べたに置かれていた。ヘルメットに書き込む例も ©安田峰俊