香港の状況はいまなお流動的である。だが、大規模な抗議運動を招く理由となった「逃亡犯条例」の改正審議について、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が無期限の延期を示した(事実ほぼ廃案となった)ことで、デモ隊の要求はひとまず一定程度は受け入れられたと言っていい。

6月の香港デモは「3段階」だった

 6月に入ってからの一連のデモは、大きくは3段階がある。まずは、6月9日に現地の民主派系団体の連合組織・民間人権陣線が主催した街頭デモで、約103万人(主催者発表)が参加。終了後の夜間に一部の群衆と警官側の衝突が見られたが、日中のデモ自体は非常に平和的なものだった。

 次に条例改正案の審議が予定されていた6月12日に、審議を阻止するために立法会(国会議事堂に相当)を1万人ほどの抗議者が取り巻く事件が起きた。この際、抗議者たちを排除しようとした警官隊と激烈な衝突が発生、80人以上の怪我人が出た。日本で報じられた「危ない」イメージがある写真や映像の多くは、このときに撮影されたものだ。

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 さらに、審議の棚上げが決まった翌日の16日、再び民陣が主催するデモがおこなわれ、香港史上最多の200万人近くが参加した。こちらはデモ終了後も含めて、暴力的な衝突はほぼ起きていない平和的なデモだった。

※200万人デモ翌日の6月17日夜、立法会前に残っていた学生風の若者たち。政府側が逃亡犯条例改正審議の棚上げを発表したことに対して、完全な廃案を言明するまで運動を続ける動きもある ©安田峰俊

 一連のデモの背景については、下記のふるまいよしこ氏の記事が非常によくまとまっている。他にも多くのメディアで解説がなされているので、本稿で詳細な説明は繰り返さないでおこう。

【香港デモ】「逃亡犯条例」改訂が巻き起こした衝撃と市民の怒り (BLOGOS)
200万人香港デモ、市民の怒りに火をつけたエリート官僚の傲慢 (現代ビジネス)

 今回、私が紹介するのは、12日の衝突の最前線を経験した若者たち、かつて香港政府の官僚だった若手弁護士や青年実業家、今回16年ぶりにデモに行ったという中年の商店主――といった、現地で出会った7人のデモ参加者たちのナマの肉声だ。今回の運動に参加した個々の人間はどんな人たちだったのか、彼らの姿から透けて見える香港社会の性質はどういったものか? それを見ていくことにしたい。(#2も公開中

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【ファイル1 激突するブルーカラー】
〔Kさん 26歳 職業:ビルのメンテナンス関連 学歴:専門学校卒業〕
〔Fさん 19歳 職業:調理師 学歴:高校卒業〕

――2人とも9日のデモの他に、12日の立法会付近での衝突の現場にもいましたよね?

K: ああ。12日は抗議のストライキの日だけど、俺はもともと休日だった。だから、午前10時ごろ審議を阻止するために立法会の前へ行った。午後3~4時ごろから警官隊と衝突した。目の前に10~20人ほどの防弾ベスト姿の警官たちがいて、俺たちに催涙弾を撃ってきた。(ボランティアが配布していた)傘を持ってこれに対抗した。催涙弾を食らったのは生まれて初めてだ。かなり目に染みてキツかったけれど、呼吸は意外と苦しくなかった。

――なるほど。12日に最前線にいた人たちは、どんな人が多かったですか?

K: 学生が多かった。社会人についても、30歳以上の人はほぼ見ていなくて……一番年上でも、26歳の俺と同じくらいだった。