「黒シャツがドレスコードだとは知らなかったんだよ」
――普段は政治にそれほど関心がないけれどデモに来た人も多かったのでしょうか?
W: だと思うなあ。16日の行進中、すぐ後ろをオッサンの3人組が歩いていたんだ。当日、デモ参加者はみんな黒シャツを着てくることになっていたんだけど、オッサンたちは普通のシャツで。実は私もそうだった(笑)。普段はこういうことにちっとも関心がないから、この日のデモにドレスコードがあるのも知らなかったんだよ。
――あの場でめちゃくちゃ浮きますね、それは。
W: けれど、そのオッサンたちの会話が聞こえてきたんだ。「いやー、デモで世の中が変わるもんじゃないし時間のムダだと思っていたんだよな」「でも、今回はなんだか来なきゃヤバい気がしたんだよなあ」ってさ。今回はそういう人がたくさんいたんだと思うよ。
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香港市民の約4人に1人、200万人が街に繰り出した事情は、つまりそういうことなのである。香港の政治体制は十分に民主化されていないが、言論・表現の自由や集会・結社の自由は西側先進国並みの水準にある。とりわけ、香港はもともと「デモの都」と呼ばれるほどデモが多い(香港特別行政区は東京都のおおむね半分程度の面積・人口にもかかわらず、例えば2018年の集会数は1万783回、デモ数は1097回にのぼる)。
デモ活動があまりにもありふれているだけに、香港人はノンポリの一般市民でも社会運動に慣れている。特に事前申請がなされたうえで実施される活動の場合、参加人数が数万人を超えたとしても(それどころか200万人が参加しても)平和的に秩序だったデモをおこなうことができる。
そんな社会なので、普段は政治に関心がない人でも、本能的にヤバいと感じたときはなんとなくデモに足を運ぶ。社会階層や世代間の分断が大きくても各人の動機が違っても、ここ一番のときはみんなやって来て、目的の達成のために小異を捨てて合従連衡するという華人的な合理主義精神を発揮する。そして、結果的に政府に対して巨大な民意を叩きつけるのが香港なのだ。
北京の中央政府は2000年代なかば以降、経済を通じた香港の取り込み政策とメディアの言論支配を進め、さらに習近平政権下の2010年代なかばからは政治的な干渉を大きく強める動きを見せている。だが、彼らが今後も最も手を焼くのは、香港人の社会にかくもナチュラルに根付いている、成熟した市民意識の存在だろう。こればかりは、中国共産党の感覚では絶対に理解ができない概念なのだ。(#1より続く)