一方でコラムに書かれたなかには、その後の松本の言動と一致しないものもある。たとえば、コメディアンにとって家族は百害あって一利なしだと、自分にとって結婚はありえないとしながら、のちに彼は結婚し、子供も儲けている(ただし、当該コラムの終わりがけには、あとで心変わりする可能性もほのめかしていた)。さらに『遺書』のあとがき(文庫版にも収録)では、次のように引退を示唆していた。
「ピークは40じゃないですか、そのあと……引退ですね」
《ぼくのピークといわれれば、わからないですけどね、まあいって四十じゃないですか。そのあと、俳優だとか司会だとか、とにかく形態を変えてまで芸能界に残りたくないですからね。最初の姿勢のままでいきたい》、《お笑いがいかんようになったんやったら、やめたらいい。取り繕って、つぎはぎだらけで残るほど、そない芸能界ってええかなって、ぼくなんかは思いますね。/引退ですね。引退したいことはないけど、まあ、せなあかんでしょうね》
もちろん松本が引退することはなかった。『遺書』のあとがきでは、《ぼくの言うところの勝ち負けは、全部発想ですね。発想さえ勝っていたら、もう勝っているんですよ。笑いは発想やと思うんです。それは一〇〇%といってもいいぐらい。それが負けていないんだから、絶対負けていない》とも書いていたが、引退しなかったのは、「発想」では負けていないという自信が40歳を超えてもなお持続したからだろうか。
『遺書』で引退という言葉が出たのは、松本がこのころ限界ぎりぎりまで仕事に打ち込んでいたからでもある。あとがきでは、《「遺書」というタイトルをつけたのも、やっぱり寿命は短いと思いますから。こんなペースでというか、こんなやり方で、そんなに長くはもたないですよ》とも書いていた。『ごっつええ感じ』のコントは回を追うごとにつくり込みが増していった。1997年年明けには、ある企画について松本が再三ダメ出ししていたにもかかわらず、指示どおりに修正されなかったため、問題が根本的に解決されるまでダウンタウンの2人は収録参加を見合わせ、番組は4週間も総集編でしのぐはめになる(※2)。『ごっつええ感じ』は同年11月に放送が終了するが、これも放送がプロ野球中継のため急遽休止されたことに松本が局側に抗議し、話し合いの末にいたった結論だった。
「漫才さえしてたら芸人の頂点みたいに思ってる、お笑いマニアが大嫌い」
あれから20年あまりが経ち、近年の松本は、テレビでもコントや漫才を演じるよりは、プレゼンターやジャッジする側に回ることのほうが目立つ。これに対して昔からのファンには、松本自身がかつてのように徹底してつくりこんだネタを披露してくれることを期待する人も多いだろう。
もっとも、本人は、芸人がネタをやることに過剰に価値を見出す最近の風潮に懐疑的だ。『文藝春秋』2019年1月号掲載の対談では、《最近、ネタをやらなくてもいいポジションになった人がネタをやるようになって、そのことがすごく偉いってなってしまっている。もちろんそれは一理あるけれども、でもそれ以外のところの大変さをおまえらわかってくれてないのかっていう寂しさもあって》と語り、これに対談相手の脚本家の宮藤官九郎が「ネタ以外のことだって、もともと漫才やってなければできないわけですもんね」と返すと、《そうなんです。だから、漫才さえしてたら芸人の頂点みたいに思ってる、最近の変なお笑いマニアが僕は大嫌いなんです》と断じている。