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駒大の主将で「1区のスペシャリスト」

 大学時代の中村の印象は、「1区のスペシャリスト」。

 学生時代に走った大学三大駅伝の1区では区間1位か2位のみという抜群の安定感を誇っていた。

2013年、全日本大学駅伝で設楽悠太(当時、東洋大)と競り合う駒大3年の中村。このときも区間賞を獲得している ©文藝春秋

 2015年、4年生の箱根駅伝1区では、優勝候補のチームとしての重圧もある中で、今回のレース展開をなぞるような2段スパートで区間賞。その際にもこんなことを語っていた。

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「1区は出てくるメンバー次第で展開が変わります。だから走り出してみないとどんなレースになるかはわかりません。でも、集団のときは仮に誰かが飛び出してもみんなで追えるので、焦らなくてもなんとかなるんです。

 最後、数人になってからは、他の選手のスパートのタイミングへの『読み』も必要になってくるので、精神的にはキツいです。精神的にキツくなると、それは走りにも影響する。キツければキツいほど我慢出来ずに焦って先に仕掛けてしまうんです。だからこそ1区の最後は我慢の仕合になるので、気持ちをしっかりと持たないとダメなんです」

箱根駅伝には2年~4年生の3度出場 ©文藝春秋

「学生時代から中村にはほとんど怒った記憶がない」

 まさに中村はその言葉通り、箱根駅伝仕込みで培われた「我慢」と「読み」で東京五輪の切符を手にしてみせた。

 取材に対しては、学生時代から変わらず常に淡々とした受け答えをし、派手さはないがしっかりと考え、言葉を紡ぐタイプだ。駒大駅伝部では主将も務めたが、言葉よりも背中でチームを引っ張るキャラクターだった。大学時代から現在まで練習を指導する大八木弘明駒大駅伝部監督もこう言う。

「どっちかというと物静かなタイプですからね。いまの学生には結構、怒っちゃうんだけど、言われなくてもやることはやるから、学生時代から中村にはほとんど怒った記憶がないんです」

40kmを過ぎてから、粘る大迫を振り切った ©AFLO

 また、所属する富士通の福嶋正監督も、今回のレースでの中村をこう評する。 

「実は5月と7月に軽い故障をして、決して順風満帆ではなかったんです。7月下旬は10日ほど練習もできませんでしたし、本当にギリギリ間に合ったという感じでした。こっちは不安でしたけど意外と本人のほうが『大丈夫ですよ』とあっけらかんとしていて。『開き直れよ』とは言っていたんですが……」