近年の動向を見ていると、いじめや家庭内暴力、長時間労働で苦しんでいる人たちに我慢を強いるのではなく、第三者がその苦難を理解し、「逃げていい」と言ってあげられる世の中になりつつあることは、大変すばらしいことだと感じます。

「それでも逃げないのはただのバカ」などと心無い言葉

 しかしその一方で、未だに強い存在感を放っているのが、「逃げられなかった人」に「逃げようと思えば逃げられるのに、それでも逃げないのはただのバカ」など、心無い言葉を投げつける人々の存在です。例えば、いじめを苦に自殺してしまった学生のニュースに対して、コメント欄に「メンタルが弱すぎる」とか「学校に行かなければいいだけの話」というコメントがたくさん付いてしまうように――。

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 彼らは、自分以外の痛みには鈍感で、当事者がどういった状況にあるかを慮ったり、想像力を働かせることができないばかりか、「自分の意見は人よりも優れている」と信じているように思えます。そしてその高説を武器にして、傷を負っている人たちをさらに攻撃しようとするのですから、非常に厄介です。

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 堪え難い苦しみの中にいる人が陥りやすい思考の傾向については、まだまだ世間一般に広く知られているとは言えません。渦中の人に心無い言葉を投げかける人たちがあとを絶たないのは、彼らが「心身が健康な人の思考パターン」と、「そうでない人の思考パターン」の違いを理解していないことが大きな要因でしょう。

「この状況が死ぬまで続くのだろう」と絶望した

 生活環境による思考能力や判断能力の変化は本当に恐ろしいもので、いわゆる「正常な判断」ができなくなってしまいます。

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 以前『「貧困は怠慢だ」と言っている人が知らない「見えざる弱者」の実情』で書いたとおり、私は機能不全家族に生まれ、1人で家を出るまでの間、兄の家庭内暴力に悩まされながら生活してきました。母も同様に、息子からの日常的な暴力や罵声、金銭の要求に苦しみ、家出をくり返したり、自殺願望を抱くほどに追い込まれていました。そんな生活を15年以上続けた私たちは、次第に「何をしても無駄だ」とあきらめ、「この状況が死ぬまで続くのだろう」と絶望し、自分たちの人生を呪いました。