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「セクシー」な小泉進次郎さん、目立つアイコンとしてのメリットを考える

一皮剥けて躍進する場になるのか、あるいは凡庸な選挙集票マシーンとなるのか

2019/09/26
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 先日なぜか環境大臣に就任した小泉進次郎さん、相変わらず世間では小泉さんに対する毀誉褒貶が大変な話題になっておりまして、絶妙なタイミングで「小泉電撃入閣」を安倍晋三総理に打診して大金星を挙げたガースーこと菅義偉官房長官の抜け目なさが光ります。

国連総会で演説する安倍首相(首相官邸ホームページより)

 独裁政権とかお友達内閣と批判されることも多いアベちゃんからの環境大臣起用にホイホイ乗ってしまう小泉さんの軽さも感じつつ、国民的な人気をバックにいまや次の首相候補筆頭に近い位置についているプリンスとして、ここで大臣の椅子に座りつつ汚れ仕事の一つもやっておかないと、単なる選挙集票マシーンとしての人生で終わるのもどうかって思うわけですよ。

 しかも、嫁が2回目のデートでできちゃった結婚に発展した滝川クリステルで、我らが週刊文春も「待ってました」とばかりに、このめでたい新嫁のあまり芳しくない評判についてきちんと報じていました。いやあ、祝砲っていつ見てもいいもんですね。砲弾に墨で「文春」って書いてあるかもしれませんが。小泉さんも血のつながらない兄弟がたくさんできて良かったのではないかと私からも心からお祝い申し上げたいと思います。

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確かにこれは馬鹿にされる要素が……

 で、環境大臣の仕事として出かけて行った先で、いきなりセクシー発言をして小泉進次郎さん、物議を醸していました。まあ、この辺はリトマス試験紙のようなものです。見る人によって、これは問題だと言えば問題だし、たいしたことはないと言えばたいしたことないとも言える。ハッキリ言って、小泉さんに対する好き嫌いで決まるべき性質の議論だと思うんですよ。

「前の別の女性の『セクシー』発言を拾って、大臣自らがアトラクティブ(注目され得る)という意味で『セクシー』と言ったまでだから問題にならない」という擁護から、逆に「日本の環境大臣という要職にある人物が、仮に他の人の発言に乗っかったコメントに過ぎないとしても、公的な場で、ややスラング的な比喩である『セクシー』という文言を使うのは配慮も知性も足りない」という批判も湧き起こります。

「セクシー」発言があったニューヨークの国連本部 ©iStock.com

 私も最初はまあ環境主義の薄汚れた連中の言葉に乗る形で「セクシー」って言うのは微妙だけど、別に意味は分かるし非ネイティブが喋るぶんにはこんなもんじゃないのと思っていたら、帰国してマスコミに突っ込まれて「(セクシー発言の)真意を問うなんて野暮じゃないか」的な発言を小泉さんがしていて、確かにこれは小泉さんには馬鹿にされる要素が満載だなと改めて感じます。いや、それを本人が言っては駄目だし、せめて聞かれた内容にはちゃんと答えろよ。

 さらに、ポエム批判として噴出している内容に至っては「いまのままではいけないと思います。だからこそ、日本はいまのままではいけないと思っている」との発言が晒され、こりゃ発言の切り取り以前に「駄目だこりゃ」と批判する人は一斉にわいわい言うでしょう。