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「大方の予想」なんて裏切るためにある ベイスターズ・乙坂智が打ち砕いたもの

文春野球コラム クライマックス・シリーズ2019

2019/10/07

「熱いぜ」

 ベイスターズおじさんが渾身の、万感の思いを込めてしたためようとしていたその書き出し3文字を消した頃、私はボウリング場にいた。ボウリング、ぜんぜん上手じゃない。そもそも何年ぶりだろうか。一人で来るお客さんは常連マイボール持参の超うまい人と相場は決まってる。一方私は、ベイスターズのCS初戦の負けを受け止めきれぬままサンダルで家を飛び出したため、ボウリング場で300円のソックスを買わされる羽目になった。恋に破れた女が能登に向かうように、私は一人裸足でボウリング場にいる。

 ただ黙々とピンに向かった。真ん中を狙っても、どうしても右に行く。真ん中に行けば、左右だけピンが残る。イライラしてきた。どうして私はこんなところで漬物石みたいな重たいボールを、しかも10×2回も投げなきゃならんのか。隣のレーンでは学生さんのグループが盛り上がっている。ベイスターズがとんでもない逆転負けをしたというのに、どうして笑えるんだ。ベイスターズは負けた。こんな世界には何の意味もない。だったら私はもっと意味のないことをしてるやる。だから今、漬物石みたいなボールをひたすら投げている。何らかの自傷をしなければ夜を越せなかった。

「今日の濱口どうしたの?」という声が聞こえてくる

 破壊の夜もやがて朝を連れてくる。

 昨日の秋晴れが嘘のように、重苦しい雲がハマスタを覆う。時折パラつく雨と、もう10月だということを気づかせる冷たい風。その風が、マウンドの濱口投手の後ろ髪をなびかせていた。デーゲーム、ハマスタのはまちゃんに、あまりいい思い出はない。夏頃は初回からガタガタと崩れていく登板を何度か目にした。さらには昨日の敗戦、後が無い2戦目の登板。悪いデータならフルコースで揃っている。ただはまちゃんは、蓋を開けてみなければ分からないピッチャー。良くも悪くも「大方の予想」を裏切るという、その一縷の望みにかけていた。

重苦しい雲がハマスタを覆う ©西澤千央

 キレッキレのチェンジアップでアウトカウントを稼ぐたびに「今日の濱口どうしたの?」という声が聞こえてくる。4月初旬の甲子園で7個も四球を出しながら完封した濱口を思い出していた。そうだあの日も、前日に悪夢のような逆転負けをしていた。私だったら「濱口、何とか空気を変えてくれ!」の空気に絡め取られて、萎縮して自滅してしまうかもしれない。責任感の強い左腕長男の石田とも、完璧を求める次男の今永とも違う、ワイルドでお茶目で、大草原で自由に暴れまわる牝馬のような魅力が濱口にはある。そして、その自由奔放さにベイスターズは何度も救われてきた。この日も、あの2017年日本シリーズだって。

 甲子園で完封した瞬間は、子どもが上手にレゴを作った時にするような得意満面の笑みだった。だけど今日の濱口に、そんな笑顔は一瞬もない。少し青ざめたような、緊張の面持ちで、とにかく必死に腕を振っている。濱口は去年のハマスタ広島戦、71年ぶりとなるプロ野球ワーストタイの4連続押し出しを記録した。自由とコントロールのせめぎ合いは、はまちゃんをずっと苦しめてきたのだろう。

 チームとして崖っぷちに立たされた中で、今日のはまちゃんは、どこか違っていた。コントロールしなければという気持ちを、とにかくチームが勝たなければという気持ちが上回っていたのかもしれない。分からないけど、無我夢中の境地ってとこに、達していたように私には見えた。