「ロス」が来ない。シーズン前から覚悟していた田中賢介選手のラストシーズン。優勝で花道を飾ることは出来なかった。引退セレモニーも終わったし、次の日のスポーツ新聞も隅々まで読んだし、何よりシーズンが終わってしまったし、事実は受け止めている。もう「けーーんすけーーー」とコール出来ないこともわかっている。だけど、「ロス」がまだ来ない。私はまだ、泣いていない。
“9月27日”を見ると、いつも2006年のことを思い出す
9月12日。この日付の意味を知らないまま、旧本拠地・東京ドーム最後の試合を迎えた。北海道に移転する前の2000年入団の賢介選手にとっては大切な場所だ。調べると、なんとこの日が1軍デビューの日だった。同じ東京ドームで。2000年の9月12日、ライオンズ戦。7回の守備から途中出場、それが1軍初出場の試合だったそうだ。
「足が震えたのを覚えている」
その19年後の同じ日に今度はその場所でのラストの試合を迎えるなんて、エピソードを聞いてファンが震えた。試合には見事に勝利し、ヒーローインタビューに立った宮西投手のサプライズでお立ち台にも立って、東京時代からのファンに別れを告げる姿は感慨深かった。
9月27日。この日付を見ると、いつも2006年のことを思い出す。
1位通過を決めたのが2006年9月27日のナイターだった。その後、プレーオフで優勝して日本一となる第一関門突破の日。私がHBCラジオで『ファイターズDEナイト!!』という番組を担当したのはこの年からで、日々初めてのことに追われているうちにものすごい慌ただしさでこの日を迎えていた。札幌ドームのマスコミ席は人で溢れていて、私はラジオの放送席すぐ横の階段で立ったり座ったりを繰り返しながら試合を見守った。
あの年にレギュラーを掴んだ選手が高卒7年目の田中賢介選手だった。背番号「3」が眩しかった。あの試合で打ったホームランはその年の賢介選手の勢いを象徴しているかのようだった。
あれから13年、2019年の9月27日。この日が今季のファイターズの最終戦であり、田中賢介選手の引退試合となった。
5歳の息子さんが始球式をする。ベンチで見つめるパパの表情に時の流れを感じた。2番DHで試合は進む。8回裏に迎えた最終打席。モニターに映る賢介選手は涙でぐちゃぐちゃで、ベンチで見守る後輩たちも泣いていた。号泣しているのに、よく見えないはずなのに、バットはボールを捕え、ライトフェンス直撃のタイムリー。結局、この日はこの1点しか取れなかった。今年のファイターズ、最後のタイムリーを打ったのは賢介選手ということになる。
9回には守備についた。賢介選手を慕う同じ福岡出身の中島選手との最後の二遊間だった。最終打席とは違い最後のセカンドでは笑顔で、「景色がよかった」と賢介選手はあとで言ったけれど、私たちが見た最後の二遊間も記憶に刻む素晴らしい景色だった。