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ボブ・ディランが札幌ドームにやってきたあの日のこと

文春野球コラム クライマックス・シリーズ2019

 9月最後の金曜の夜だ。なぜか文春野球中日のライター、カルロス矢吹が繋いでくれる形で北海道新聞の記者さんと会うダンドリになっていた。本当になぜカルロスが繋ぐのかわからない。僕は2003年、つまりファイターズ本拠地移転の1年前のシーズンから北海道新聞で野球コラムの連載を続けている。ずっと隔週の掲載だったが、何年か前、月イチに減ってしまった。うわー、ちょっと書き足りないなぁと思ってたら渡りに舟、うまい具合いに文春野球がスタートしたのだ。

賢介ラストゲームに日暮里の寿司屋にて

 北海道民の間では「道新」で通っている。たぶん北海道の読者は「道新」コラムで僕の存在を知った方がほとんどだろう。僕もホーム意識がある。連載開始がら現在まで15人以上の担当記者さんにお世話になったが、皆、忘れ得ぬ思い出がある。長く続いてる連載なので道新社内にもたまーに愛読者がいて、それが今回の飲み会にも結びついた。カルロスから来たメールは「東京支社の記者さんが『せっかく東京にいるんだから、えのきどさん紹介してくれ』って言ってます」だった。参加者は直前に追加があり、「札幌の記者で、えのきどさんに会うんだったらぜひ連れてってくれという人がいます。大丈夫ですよね?」ということだった。

 ただその週になって、大丈夫だけどあんまり大丈夫じゃないなぁと思い始めた。飲み会のセッティングは半月以上前だから今更動かせないんだが、よくよく考えたら9月ラストの金曜日はファイターズの今季最終戦、すなわち田中賢介引退試合だった。日程をきちんと調べておかなかった凡ミスだ。しょうがない、夜中に録画を見てひとりで泣くことになるんだろう。

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 待ち合わせは日暮里の寿司屋さんだった。夜6時に店に入ったら誰もいない。店の大将が「7時の予約になってますよ」と言う。しまった、時間をきちんと調べておかなかった凡ミスだ。しょうがない、懇意にしてる家が近くにあるからそこで野球見て時間をつぶそう。電話したらこころよく迎え入れてくれた。一般家庭だけど、お父さんと田中賢介の昔話ができる。大型のTVモニターの横にゴールデングラブが飾ってあるもんなぁ。

 7時になって懇意にしている家を辞し、寿司屋さんに向かった。2階の座敷へ通され、ご挨拶し名刺交換していたら部屋にTVがあって、何とファイターズ戦をやってるじゃないか。この日はNHK-BS中継が組まれていて、おかげで僕は賢介ラストゲームをオンタイムで見ることができた。

ほぼ誰にも知られていない道新の“隠れたスクープ”

 部屋にいたのはカルロス矢吹のほか3人。東京支社のO記者、カメラマンのMさん、それから真向いにいちばん大柄な石川泰士さんという記者が座った。この石川さんが面白かった。この人が追加で参加した札幌の記者さんだ。僕のコラムを熱心に読んでくれてて、「いやぁ、感激ですぅ」なんて大仰に言いながら、それでも「すいません、こんなこと滅多にないので聞いていいですか。えのきどさんにとって田中賢介とはどんな存在ですか? すいませんすいません、職業病ですぅ」と質問を投げてくる。僕は「賢介はファイターズ野球の象徴ですね。引き出しが多くて野球を知ってる」なんて答えていた。

 やがて試合が終わり引退セレモニーが終わり、目の前では石川記者が泣いていた。僕はそれを見て、うんうんとうなずいていた。先手を打たれた。おしぼりで涙をぬぐう大男の前ではちょっともう泣きにくいじゃないか。

 それで何だっけかなぁ、どういう話の転がりか忘れたけど、「道新って新聞協会賞を何度もモノにしてるけど、それ以外にも隠れたスクープありますよね」と言ってみたのだ。「僕がすごいと思ったのはボブ・ディランがファイターズの試合見に来てたって記事。あんなの他にはどこにも出てないでしょ」。3年前、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したとき出た、道新地方版の記事だ。ほぼ誰にも知られていないが、とんでもない大ネタだ。

「うわ、そ、それ、僕が書いたんですよ。うわー、マジですか。何で地方版の記事なんて読んでるんですか。マジですか。感激ですぅ。僕ですよ僕ですよ。うわ、マジかー」

ボブ・ディランさん ©AFLO

 大男は涙でなく額の汗をおしぼりでぬぐいだした。僕もびっくりした。「え、あれ書いたの石川さんなの!? あれはすごいよ。3年前、報知の加藤弘士さんからLINEが来て、2人で大騒ぎしたよ。あんな話、みうらじゅんも知らないよ。まさかボブ・ディランがお忍びで札幌ドームに来て、ファイターズ戦を見てたなんて!」大男は寿司屋の2階で叫ぶ。「そうなんですそうなんです。ディランが、ボブ・ディランが札幌ドームに来たんですぅ!」

 たぶん読者はあまりのことに呆然としてるだろう。記事が出たのは2016年10月15日だ。ファイターズは前夜、CSファイナル第3戦に勝利し、日本シリーズ出場に王手をかけた。先発有原航平は7回1失点の好投、レアードに2試合連続のホームランが飛び出している。いよいよ翌16日は大谷翔平がDH解除で最終回のマウンドへ上がる。球速165キロを計測した伝説のマウンドだ。あぁ、あの日に帰りたいね。最高だったなぁ。

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