昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

契約延長の栗山英樹 厳しい監督業を続けられるのは“栗の樹ファーム”のおかげ!?

文春野球コラム クライマックス・シリーズ2019

2019/10/06

 9月17日付の北海道新聞朝刊に、ファイターズ栗山英樹監督の名前が載っていました。

 何を当たり前のことをと思われたかもしれませんが、スポーツ面じゃないんです。「いずみ」です。と言っても道新読者でない方には何のこっちゃですね。家庭面とか生活面とかの投稿コラム、皆様がお読みの新聞にもそんな欄がないでしょうか。そこに掲載された79歳の女性の文章に、栗山監督が登場していたのです。

栗山監督と栗の木ファームの近所の老犬

 14年飼っていた愛犬が死んで一週間ほど経った頃、近所の人からその犬のことを尋ねられ……という、こういう投稿欄では割とよくありそうな題材のコラムなのですが、投稿者は栗山町の人で栗の樹ファームの近所で、犬の安否を尋ねてきたのは栗の樹ファームの管理人さん。《人も犬も大好き》で《番犬には向いていなかったのかもしれない》というその犬「けんちゃん」は、栗山監督にとっても愛犬だったのでした。《どうやら監督は、散歩の折や自宅への帰りがけに、けんちゃんに声を掛けてくれていたらしく、姿が見えなくなったのでどうしたのか気になっていたらしい。そう言えば、家の前に車の止まる音や、何か語りかける声を何度か聞いたような気がする。》《毎日の勝負でおそらく気の休まることがない監督に、けんちゃんはほんの少し役に立っていたのかな。》

 という訳で地方紙の投稿ですが野球ファンのツイッターで話題になり、翌日にはスポニチの記事に。老犬「けんちゃん」、栗山監督によれば《勝手にポチって呼んでいた。呼ぶとすぐに走って来てくれた》とのことで、なるほどこれは番犬じゃないなあと微笑を誘われるエピソードでありました。

散歩の折や自宅への帰りがけに「けんちゃん」に声を掛けていた栗山英樹監督 ©文藝春秋

「フィールド・オブ・ドリームス」が大好きな栗山英樹、この映画に出てくるような天然芝の野球場を作りたくて、たまたま縁のできた栗山町に本当に作ってしまったのみならず、自分のコレクションを集めた小さな野球博物館もあり、そして今では本人がそこに住んでいるという、それが栗の樹ファームです。

 開幕日、札幌ドームへ向けて出発するのを近所の人達が見送りに来ているという場面をテレビで観たことがありました。それを見て走り出したばかりの車はすぐ停車、わざわざ降りて挨拶しに行った栗山監督。ややあって車に戻ってきた時には、おばあさんからもらった差し入れを大事そうに抱えていました。買ったお菓子などではなく明らかに手作りのもの。これは食べたら入れ物をきちんと洗って、お宅まで返しに行かなければなりません。「ファンからのプレゼント」ではなく、「ご近所付き合い」。

 こういうのを見ていると、「栗の樹ファームの場所がもしもここじゃなかったら」と思うことがあります。栗山英樹と栗山町に縁ができたのはかれこれ20年程前のこと。《栗山町の青年会議所が栗山姓の人を集めて何かやろうと企画を立てて声をかけてくれた》(朝日新聞2018年1月4日【わたしと北海道150年】)と本人が語っていますが、つまりはほんとに名前が同じ「だけ」で始まった話。全くの偶然でありました。声をかけた青年会議所の人達もその時点ではまだ、一緒になって野球場建設なんか始めることになるなどとはもちろん誰一人として夢にも思ってない訳です。

 栗山町から札幌ドームへは車で50分ほどの距離。普通に通勤可能です。でもこれがもっと遠かったら。惚れ込んで野球場を作ろうと思った場所が、たとえば札幌から見て日高山脈の向こう側だったら。上川盆地の方だったり渡島半島の端っこだったりしていたら。札幌ドームに日帰り通勤はできません。監督就任当初は札幌市内でホテル暮らしだったそうですが、それがずっと続いていたら。

 もしもそうだったとしたら、丸8年もの間、監督を務め続けることは難しかったんじゃないだろうか。実は勝手にそう思っているのです。