投手全員がそうなのかといったらわからないですけど、私はお客さんが立ち上がり拍手してくれる姿を見るために投げていたようなものでした。たぶんビジター防御率の方が悪かったと思う。点差はわずかで、しかも満塁でという場面での登板が多かった私はよく「辛くなかったですか?」って聞かれましたが、でも逆転の発想なんですよ。最初にそう思うのか、抑えた時にどうなるのかを考えるのか。ブルペンでは抑えた時のイメージしかしてない。

 では最初からそういう感覚でできたかといえば、いや、まったく。味わってしまったんです。2015年に初セーブをあげた日に。喜びというか、私の生きる道だなっていう感覚。「永遠の目標」ができた、みたいな。みんなが絶体絶命って思うピンチの場面で、自分だけが「やばくない」と思っている。

元ベイスターズの須田幸太(現JFE東日本) ©文藝春秋

ブルペンのドアに「見えない壁」がある

 登板前。ブルペンでは木塚コーチが逐一「なにがどこにいて」「何点差で」「バッターが誰で」という確認事項を伝えてくれます。他のピッチャー陣は何も言いません。集中してるので。何かを言える雰囲気ではないです。

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 ブルペンのドアがあるじゃないですか。あそこに「壁」がある。見えない壁。その手前にいる時は、死ぬほど緊張してます。私なんか毎日「おえー」ってえずいてた。その壁を越えて、表舞台に出た瞬間に緊張しなくなるんです。

 それはたぶん、お客さんの声。頑張れとか、頼むぞとか、自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくると、そこでスイッチが入るんです。逆にそうならないと打たれてしまう。少しでも注意力が散漫になるとダメです。舞台袖みたいなものですね、役者でいったら。袖では緊張してて、観客の目に入った瞬間にスイッチが入って。そのスイッチを大事にしろというのは、木塚コーチが伝えてたことなんですね。私にとって木塚コーチの存在はとにかく大きかった。

ブルペンのドアがあるじゃないですか。あそこに「壁」がある。見えない壁。 ©時事通信社

「“勝ってても負けててもいつも通り投げてるやつ”が特別なんだよ」

 2016年、開幕前に毎日のように木塚さんの部屋に行っては「どうやったら勝ちパターンで投げられますか」と聞いてました。木塚さんは400試合500試合投げたピッチャーで、何セーブもしている熱血系の人です。たとえば負けてる時にはいいピッチングするけど、接戦で打たれるピッチャーっているじゃないですか。そういうピッチャーの違いは何なんですかという問いかけに木塚さんは言うんです。「そういうピッチャーはほんとはいない」と。「指にかかったボールをいつも通り、勝ってても負けてても投げれるか。そこに勝ってるという責任がのしかかってくると、みんな自分の指にかかった球が投げれないんじゃないの。だから『勝ってる時に投げている人』が特別なんじゃなくて。『勝ってても負けててもいつも通り投げてるやつ』が特別なんだよ」って。

 熱血系の木塚さんからのその答えは少し意外でした。でもよく考えてみればそうだなって。今も後輩たちに言います。本番で打てない選手は、本番で普段と同じことやってるのかって。練習でやってることしか出ないんだから、練習でやってることやれよって。試合だったらいつも以上の力が出ると思っている選手はかなりいる。そんな甘いわけないんです。たまには出るかもしれないけど、でもそれはたまになんですよね。それがほんと奇跡と呼ばれるようなことで。人間、限界を超えることってそう簡単じゃない。だったらいつも通り、8割9割の力でできればもっと結果は出るはず。

 ベイスターズが優勝争いの中でぶつかった「勝ちきれない」の正体は、もしかしたらそのことなのかもしれないですね。いつも通りの積み重ねでしかない。木塚さんは気持ちでやってた人にみえるけど、実に冷静な思考を重視していた。「最後は気持ちだ。どうしようもなくなったら気持ちで投げろ」と。「でもどうしようもなくなる前まではちゃんと考えてくれよ」という。