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「入院中もずっと電話」 ライオンズ・岡田雅利と森友哉、2人の捕手の深まる絆

文春野球コラム クライマックス・シリーズ2019

2019/10/12

 9月12日の昼下がり、新品の室内練習場のバッティング・ゲージの中で、一人黙々とネットに向かってボール投げ続ける男がいた。バランスボールにまたがり、ボールをまた1つ、思い切り投げると、ふと、近づいて行ったこちらの気配に気付いた。

「チーム、強いっすね〜」

 前日11日、西武ライオンズは、球団タイ記録となる自身9連勝となったザック・ニール投手の好投、森友哉選手の決勝3点タイムリー安打、そして守護神・増田達至投手の通算100セーブ達成と、最高の内容で勝利し、今シーズン初の首位に立った。「ホント、めっちゃ強いですねー!」。こちらがそう返すと、岡田雅利捕手は、嬉しそうに、でも、少しだけ寂しそうに笑った。

 岡田選手は、8月4日の試合中に左拇指MP関節尺側側副靱帯(じんたい)損傷で登録を抹消され、同14日にその修復術と、以前から抱えていた左膝の関節鏡視下左膝半月板縫合術を受け、長期離脱、リハビリ中の身だ。

「やっぱり、悔しいですか?」

 愚問と重々分かりつつも、そう言葉が出ている自分がいた。

「そりゃあ、悔しいですよー」

「ですよね……」と、互いに苦笑したと同時に、「でも……」と、岡田選手が続けた。

「僕がおらんくなってから、森(友哉)が、『自分がやらなあかん』と思ってやっているのが、めちゃくちゃ見える。それで、ここ(首位)までこれたのは、ほんまにすごいと思うし、なんか、嬉しいよね」。首位に立ち、いよいよ優勝が本格的に見えてきた勢いあるチームの中にいられない無念さの一方で、2014年同期入団、大阪桐蔭高校の後輩でもあり、ライバルとして共に歩んできた24歳正捕手の“変化”と、そのリードによってチームが勝利を重ねていることに喜びも感じていた。

2014年同期入団の岡田雅利と森友哉

これまで以上に強固なものになっていった2人の関係

 森選手の変化については、辻発彦監督、秋元宏作バッテリーコーチはじめ、多くの人が同様に話していた。それと同時に、それぞれが、「それだけ、岡田の存在は大きかったということ」だと痛感していたのもまた事実だ。「そういってもらえるのは、本当にありがたい」。各報道メディアなどからそうした言葉を伝え聞いていた岡田選手は、素直に喜んだ。

 とはいえ、言うまでもなく、実際、誰よりも背番号『37』が抜けた影響を感じているのが森選手である。岡田選手いわく、離脱してから、2人で電話する時間が長くなったという。「今までも、たまに電話はしていましたけど、『これは、こうやな〜』ぐらいの感じで、いっても5分ぐらいでした。でも、抜けてからは、僕が入院している時もずっと電話をしてきたし、話が30〜40分続くようになって。もちろん、他愛もない話も交えながらですが、ほとんどが野球やチームの話。『こうやって、こうしたら、こうなんじゃないんか?』『でも、僕はこうやって思うんですよ』とか、僕の話を聞くだけじゃなくて、自分の意見や考えも言ってくれるようになった。『あ、こいつすごいな。チームのために、ここまで考えてるんや』って、素直に思いましたね」。

 負傷前、岡田選手がしばらくバッテリーを組んでいたザック・ニール投手を受けることになった時にも、森選手は「どんな感じですか?」と、その特徴や傾向などを事細かに聞いてきたという。そうした姿勢からも、頼りにされていることが伝わってくるからこそ、岡田選手も、惜しみなく自分の考えやアドバイスを伝えることができた。特に今年は、長きにわたり“ライオンズの頭脳”を担った炭谷銀仁朗選手(巨人)がFA移籍でチームを去った。「だから優勝できなくなった。とだけは、僕も森も絶対に言われたくなかった」。絶対的エース不在、投手陣全体が安定感を欠いた(チーム防御率4.35※パ・リーグワースト)苦境を何とかして乗り越えようと、共にシーズン通して試行錯誤を続けてきた。その中で、2人の関係は、これまで以上に強固なものになっていった。

 岡田選手は力説する。「『電話してて、『打つ方(バッティング)が良くなってるやん。すごいやん!』と言っても、あいつは、『もうあっちはいいです』ってずっと言ってた。それぐらい、キャッチャーに必死だった。そのキャッチャーの頑張りがあってのあの成績(打率.329【首位打者】、23本塁打、105打点)を、めちゃくちゃ評価してあげて欲しい。ホンマにようやったなと思う」。

ふと思い出した入団直後の対談インタビュー

 偶然にも、冒頭の会話をした日の夜、岡田選手はメットライフドームでチームのナイトゲームを観戦した。1回裏、森選手に打席が回ると、その登場曲としてかかったのは、岡田選手がそれとしている『それが大事』(大事MANブラザーズバンド)だった。「来るって行ってたから〜」と、当の森選手はサラリと言ったが、その粋な計らいは、6つ上の戦友の胸を打った。「泣きそうでした。泣いてはないですけどね(笑)。試合後、電話がかかってきて『どうでした?』って聞くから、『やばかったよ』って伝えました」。こうしたところにも、森選手の岡田選手への信頼の大きさが表れていると言えるのではないだろうか。

 このシーンを、球場の記者室で見ていた筆者は、ファンの「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと〜♫」の大合唱を聞きながら、ふと、この2人の入団4ヶ月後、2014年に行った『LIONS MAGAZINE』(当時はフリーペーパーでした)での対談インタビューを思い出していた。お互いについて尋ねると、「プライベートはお茶目で面白くて一緒にいて楽しいけど、いざ野球となったらリードとか配球を色々教えてくれる」という森選手に対し、「バッティングを教えてくれといっても、教えてくれない。自分だけエエとこどりして、ホンマ最低っすわ(笑)」とスネる岡田選手。

 また、互いにエールを送り合うところでは、ともに「一軍に一緒に行こう」と言いながらも、森選手は「で、自分が試合でマスクをかぶって、岡田さんはベンチで見て、アドバイス役みたいな、いわば、マンツーマンのコーチみたいな存在になってくれることを期待しているというか、まぁ、恐らくそうなると思います(笑)」と、高らかに爆笑する18歳(当時)のボケ? ジョーク?(笑)に対し、「ちょっと待ってや! これ、エールなん?」と、タジタジだった岡田選手。

 あれから6年の月日が経ち、それぞれの立場や関係性などに変化も当然あったことだろう。だが、間違いなく、2人の絆は深まっているように思う。

2014年度に発刊された『LIONS MAGAZINE』 ©上岡真里江