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僕らは何であんなに新庄剛志が好きだったんだろう――2006年、北海道が“野球バカ”になった日本シリーズの記憶

文春野球コラム 日本シリーズ2019

 例えば京王よみうりランド駅からジャイアンツ球場までの登り坂、通称「ジャイアンツVロード」だ。イースタンリーグ目当てのファンのために、路傍に巨人軍選手の手形が並んでいる。1軍に飛躍したスターだけでなく、2軍暮らしの選手も多い。懐かしのOB選手も揃ってる。で、僕はいつも「マイケル中村」のところで足を止めるのだ。で、いつも思う。そうか、マイケル中村はその後、巨人と西武のユニホームを着たんだった。

 そして胸の奥がつんとなるのだ。僕には忘れられない。2006年10月28日の札幌ドームだ。第57回日本選手権シリーズ、第5戦、9回表のマウンドにマイケルがいた。自在に変化球を操る技巧派クローザー。中日先頭の上田佳範をライトフライに取る。かつて上田に惚れ込み、「ファイターズの3番は向こう10年決まりだ!」と触れて歩いていた自分があの瞬間、「青いヨシノリ」の凡退を願っていた。

 僕は1塁側内野席のずーっと上のほうにいたんだが、ぽろぽろ泣けてきたんだ。自分のなかの「90年代の夢」にケリをつけている。上田佳範にバッテンをつけている。「00年代の夢」が「90年代の夢」を凌駕する。

 次は捕手の谷繁、ショートゴロだ。名手・金子誠が難なくさばいて、日本一まであとアウト1つ。中日は代打アレックス。球場内は異様なムードだ。

 日本一になる。

 SHINJOが引退する。

 エモーショナルな2つのことが今、まさに立ち現れようとしている。そこはとんでもない「劇場」だったのだ。野球であって野球以上の何かだ。僕の記憶のなかでは4万2030人がこのとき全員何かを叫んでいた。うわあああ。おおおお。つよしいつよしいい。あああ。おおお。しんじょおお。おおおおお。

 センターの定位置についた新庄剛志はずっと泣いていた。試合後、「自分のところに飛んできたら捕れなかった」とコメントしている。8回裏、最後の打席に立ったときも泣きながら大振りして三振だ。スタンドは総立ちで、つよしい、つよしいいとコールし続けた。打席に立ったときも、センターの定位置にいても新庄は豆粒大にしか見えないんだよ。その豆粒大に心を寄せ、ひとつになる。4万2030人がSHINJOなんだよ。

4万2030人がSHINJOだった ©文藝春秋

新庄はファイターズを本気で変えようとしていた

 僕らは何であんなに新庄が好きだったんだろう。北海道が、札幌の街が、一種の熱病なんだよ。4月、突然の引退発表をしてから、リーグ戦全日程は1シーズンそっくり新庄の引退興行になってしまった。発表時期が早すぎて非常識なほどだったが、そこに新庄流の計算があった。ファイターズに注目を集めたいのだ。日本一からは44年、パ・リーグ優勝からは25年遠ざかっていたファイターズを本気で変えようとしていた。

 あぁ、読者よ。もう忘れちゃったかい?

 僕は例えばマイケル中村の手形の傍ら、例えば仕事部屋でこっそり眺めるチケットの半券、ユーチューブの映像、日暮里の勝手知ったる夜道、福住駅を出て歩道橋のところで銀色のドームに目が眩む一瞬、そういうちょっとしたきっかけであの熱病がまだ自分のなかにくすぶってるのを感じる。忘れちゃったかい? 北海道にね、日本シリーズが来たんだ。あり得ないだろ、シンジラレナーイだろ?

 ファイターズが来て、新庄が来て、北海道は変わった。何であんなに新庄が好きなのか。「これからはメジャーでもありません。セ・リーグでもありません。パ・リーグです!」って飛び込んできてくれたんだよ。球界再編騒動が起こり、球団合併・1リーグ制が画策されたとき、「これからはパ・リーグです!」は新しい意味を帯びた。

平気でバカをやって目立った新庄剛志 ©文藝春秋

 いつもファンを意識していた。ベンチ奥で誰かが「今日、お客さん入ってるかな?」なんて口にしようもんならすぐに食ってかかった。「お客さんじゃありません。ファンと呼んでください」。

 何で新庄が好きなのか。バカみたいな奴だからだ。東京時代のファイターズファンも、北海道のファンも、どちらかというと引っ込み思案でおっとりしていた。自分が前に出るよりも、誰か出てくる者があればすぐにゆずってしまう。気持ちが内向きだ。ガツガツした競争が苦手だ。新庄はそれじゃつまんないよって身をもって示した。平気でバカをやって目立った。目立たなきゃ変わらないってわけなんだ。