文春オンライン

僕らは何であんなに新庄剛志が好きだったんだろう――2006年、北海道が“野球バカ”になった日本シリーズの記憶

文春野球コラム 日本シリーズ2019

note

あのとき、北海道は野球バカの国になったんだ

 ファイターズが来た04年、駒大苫小牧が甲子園で優勝して、深紅の大優勝旗が津軽海峡を渡った。そんな日が来ると思った? 駒大苫小牧は翌年も優勝して夏連覇だよ。

 新庄フィーバーの06年は田中マー君が、ハンカチ王子の斎藤佑樹と投げ合って決着つかず、再試合して準優勝に終わった。感情が沸騰して、いつも針がレッドゾーンに振り切れるような日々だったんだ。そんなめちゃくちゃな日々、ファイターズはソフトバンク、西武との三つ巴の優勝戦線を勝ち抜き、シーズン首位通過、プレーオフの激闘を制して、北海道に日本シリーズを持ってきた。

 日本シリーズ。

ADVERTISEMENT

 テレビで見てた遠くの出来事だよ。それが北海道にやってきた。もうさ、目抜き通りのビルはじゃんじゃん応援の垂れ幕を出しちゃってさ、みんな寄ると触ると野球の話さ。ダブル武田。セギノール。マシーアス。ひちょり。賢介。信二。鶴ちゃん。岡島。それから20歳の新エース、ダルビッシュ有。

 街を歩いてる人も、駅員さん店員さんもユニホームを着ている。ユニホームを着て新庄の話をしている。あのとき、北海道は野球バカの国になったんだ。

 みんな思い出してくれ、日本シリーズだよ。チケット争奪戦だよ。僕なんかホテルなくて苫小牧の王子製紙アイスホッケー部の選手アパートに泊めてもらったよ。アイスホッケーの選手アパートと札幌ドームの往復だよ。あんな幸せなことあった? あんな頭おかしくなりそうなことあった?

 ユーチューブの動画をね、再生してみるとテレ朝の解説に栗山英樹さんがいるんだ。後にファイターズで長期政権を築くことになる指揮官はあの瞬間、札幌ドームにいたんだ。君はどこにいた? あれは忘れられないよね。

北海道初の日本シリーズは文字通り「新庄劇場」だった! ©えのきどいちろう

あんなことにならないかな。またならないかな。

 マイケル中村が最後の打者、アレックスに3球目を投じる。打ち上げた。レフトフライ。背番号46番、レフト森本稀哲が左中間に少し駆けて捕球する。ゲームセット。カバーに来ていた新庄と抱き合った。永遠のハグだ。ファイターズの勝利だ、涙が止まらない。いったんマウンドに集まったチームメイトが全員で左中間の新庄のところへ移動する。

 それは日本一の引退試合だったんだよ。そんなバカなことが起きたんだ。試合後の新庄のコメント。「持ってるわ、オレ。このマンガみたいなストーリー。出来すぎてる」。もう、コメントがバカみたいじゃん。でも、本当にそうなんだよ。新庄はメジャー帰りの入団会見で、2つ目標を挙げた。札幌ドームを満員にすること。チームを日本一にすること。それが本当になったんだよ。

 僕はよみうりランドの「マイケル中村」の手形や、夜中こっそり見るユーチューブで胸の奥がつんとなりながら思うんだ。

 あんなことにならないかな。またならないかな。今日どうなったって明日どうなったっていい。今、死んでもいい。いつまでもいつまでも泣いていたい。向こうから来る奴全員にハイタッチしたい。ありがとうを言いたい。歌いたい。野球帽を横っちょにかぶって夜中の街をスキップしたい。

 北海道に日本シリーズが来たときはこんなだったよ。ファイターズが日本一になったときはこんなだったよ。

僕はNHKの優勝パレード全道中継のゲストを務め、この1年を締めくくりました。 ©えのきどいちろう

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム 日本シリーズ2019」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/14451 でHITボタンを押してください。

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。

僕らは何であんなに新庄剛志が好きだったんだろう――2006年、北海道が“野球バカ”になった日本シリーズの記憶

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春野球をフォロー
文春野球学校開講!