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映画『ジョーカー』の危うさを生む、主人公を「理解」した気になれる構造とは

「共感」と「理解」は違う

2019/10/19

 10月4日に日米同時公開された映画『JOKER』(トッド・フィリップス監督作品)が大ヒット中だ。アメリカン・コミック「バットマン」に登場するヴィラン“ジョーカー”の誕生物語を描いたこの映画は、アメコミ映画としては初めてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得、今年度のアカデミー賞受賞は確実という声も多く上がっており、評判はすこぶる上々である。

*編集部注……この記事はネタバレを含みます。


「彼に共感できない観客は、恵まれた人間だ」という反響

 公開開始以降、ウェブやSNS上では本作に対する人々の感想・意見が飛び交い続けている。その言葉の応酬のなかでもとりわけ多く見受けられるのは、「主人公アーサー・フレックに共感した」という感想だ。

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 障害を抱え、二人暮らしの母親を介護し、職場でのぞんざいな扱いに耐えながら生きているアーサーの姿が、少なくない人々の共感を呼んでいるわけだ。彼に共感できない観客は、社会的弱者として生きたことのない恵まれた人間だ……という論調の意見も目につく。

 実際、本作でホアキン・フェニックスが演じるアーサーは、劇中で他者に共感を求め続ける。同じアパートに住むシングルマザーのソフィーとの甘い時間を勝手に妄想し、生き別れの実の父だと信じたトーマス・ウェインのもとを訪れて承認を求める。肉感的で他者性の無い親密なコミュニケーションと共感にアーサーは飢えており、それが得られない失望を繰り返した末に、ジョーカーに変身してしまうのだ。

この映画の特徴は、暴力への葛藤がないことだ

 正直に言うと、わたしも本作を観ながら、社会的弱者としてのアーサーの苦しみに非常に共感してしまった。ウェイン産業の証券マンを成り行きで彼が射殺してしまう場面では、強くカタルシスを感じてしまった自分に戸惑った。

 横暴な態度をとる富裕層の人間に対して、抑圧され続けた貧困層の人間が一矢報いるという構図。それが拳銃を使った暴力という、法とモラルに反した最悪の手段によるものであるにも関わらず、このシーンは間違いなく、多くの観客たちの共感を集めるものになっていると思う。

 そしてゴッサム・シティの人々もこの事件に共感し、証券マンを撃ち殺した際のアーサーのピエロ姿が、不満を持つ貧困層にとってのシンボルとなっていくのである。

主人公を演じたホアキン・フェニックス ©AFLO

 証券マンを殺したことを一つの皮切りに、それ以降、アーサーはいくつかのきっかけを通して次々と暴力に手を染めていく。だが本作の特徴は、彼の葛藤や煩悶が、暴力を振るうという自らの行為そのものには及ばないところにある。