毒々しい配色のスーツ、白塗りに真紅の口紅、異常なまでに口角の上がった唇。耳をつんざくような高笑いをあげながら、なんのためらいもなく悪行を働く。あまたあるアメコミ・ムービーのヴィランのなかでも、その容姿や振る舞いから最も強いインパクトを放つのがジョーカーではなかろうか。そんな彼を主人公に迎えたのが、公開中の『ジョーカー』である。1981年のゴッサムシティでしがない大道芸人として生計を立てていた男アーサー・フレックが、いかにして人々から恐れられ、バットマンの宿敵となるジョーカーとなっていったのかを見つめた作品だ。
人々を笑わせたいと願っているにも関わらず、脳神経に負った損傷と精神の病によって引き起こされる言動が災いして人々から忌み嫌われてしまう切なさ。後にバットマンとなるブルース・ウェインの父である大富豪トーマスとの意外な因縁。さらに分断や格差といった社会の闇と歪みから世間を震撼させる悪が生まれるという普遍的な負の法則にも踏み込んでみせた、エモーショナルかつ深淵な大傑作となっている。
ホアキンのジョーカーにしかない“あるもの”とは何か
そうした物語とテーマもさることながら、我々の目を引きつけて離さないのが主演を務めたホアキン・フェニックスだ。24キロもの減量を敢行して痩せ衰えさせた肉体から発せられるえもいわれぬおぞましさ、落ち窪んだ眼窩の奥から光らせる狂気を帯びた眼。ジョーカーのメイクをせずとも観る者を震え上がらせる凄まじい存在感と熱演は、まさに演技派として名を馳せる彼の面目躍如といったところだ。
しかも『バットマン』(89)以降のシリーズで、ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレッド・レトが演じてきた3人のジョーカーにはなかった、ホアキンのジョーカーにしかない“あるもの”が打ち出されている。当初はレオナルド・ディカプリオも主演候補に挙がっていたともいうが、なぜ演技派と呼ばれる俳優たちはジョーカーに取り憑かれるのか? それぞれを振り返りながら、背景や理由に迫りたい。