「先生が相手してやるから、来い!」
「中学2年の冬には身長も180センチくらいになっていました。毎日1対1のタックル練習をするのですが、姫野の相手をできる子がいなくなってしまい、私が『先生が相手してやるから、来い!』と言ったんです。絶対に負けない自信があったんですけど、私がボールを持って姫野に当たったら簡単に吹っ飛ばされた(笑)。私も高校3年間ラグビーをやっていたので『もう少し本気でやらなくては』と、本気でもう1回姫野に当たったんですけど、また飛ばされてしまって……。逆に、私もボールを持った姫野を倒してやろうと思ったんですけど、しがみつくこともできなかった。とにかく体幹が強い子でした」
中学生で「夢はラグビーでプロになること」を目標に掲げていた姫野は恩師の元、ラグビーにのめり込んでいった。
「相手への当たり方も、真正面から当たったり、下に落としたり、ハンドオフなど細かい技術も教えました。姫野はコンタクトプレーで相手に対しての間合いの作り方には抜群のセンスがありました。しかし、中学3年の最後の県大会準々決勝は1トライ差で負けてベスト8という結果に終わりました。優勝候補だったのですが、姫野の代は同級生が少なくて無理矢理ほかの部活の生徒まで試合に出していましたから、勝てなくて当然ですよね(笑)」
中学ラグビーで優勝を逃した姫野は、当時まだ花園常連校ではなかった「春日丘高校(現中部大学春日丘高校)に進学したい」と松浦氏に打ち明け、恩師も背中を押した。
「勉強はがんばってましたが、得意ではないですね(笑)。私は彼の決意を聞いて、成績を上げなければならないから『授業ではとにかく手を挙げなさい。そして提出物は絶対にだすこと』と、彼と約束しました。最初は恥かしくてやらないかなと思ったら、姫野は愚直にやるんですよ。他の先生にも『姫野君がんばってるね』って言われたほど。そうしたら成績も上がって、無事に志望していた春日丘に合格できました。私もうれしかったですね」