『某』(川上弘美 著)

 記憶のない「わたし」が、病院で診察を受けている。医師は、「治療して、あなたのアイデンティティーを確立しようではありませんか」と言う。そこでそれまでの記憶を取り戻していく、わけではない。医師の指示で、自ら「丹羽ハルカ」と名前をつけ、「十六歳。女性。高校二年生。埼玉県出身。趣味は占い」と設定した人物になる。それが「治療」なのだ。「丹羽ハルカ」という人物として生活しながら、友達を作り、内面を知る。日記を通じて医師にその様子を伝える。

 あるとき「丹羽ハルカ」は、「野田春眠(はるみ)」という男子高校生に、心身ともに変化する。別人として生まれ変わるのではなく、「丹羽ハルカ」だったころの記憶を維持しつつ、新しい人物を生きていくのである。

 この世の誰でもなかった主人公は、性別や年齢、人種、職業など、様々に異なる姿に変化をし続ける……。奇想天外な展開だが、それぞれの人物が受ける社会的なアプローチとその反応がこまやかに描かれていて、その人生の断片の時間を体験する新鮮なおもしろさがある。そういえば、前提ぬきに様々な人物の目線でそこにある世界を眺めていく点では通常の小説と変わらない、ともいえる。はじめに少し不思議な事情が提示されることで、小説の楽屋裏が少し見える形になっているのだ。

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 現実でも、環境が変わることによって、そこで求められる人物像が変化し、臨機応変にその場に見合ったふるまいをする。違う立場にいた頃の自分の記憶を保ちつつ、ファッション、喋り方、表情なども変化させる。過去の自分の言動が、他人のしたことのように感じられることもある。

「某」の主人公は、極端な変化をするが、そんな日々変化する人生をデフォルメしているともいえる。もしも、違う人物に憑依できたら、自分はどんな行動を取るだろう。そんなことを誰しも考えたことはあるだろう。この本は、そうした「もしも~なら」という自己客観化の長い旅を一つの存在に添ってやわらかく追随する独特な読書体験だった。

 最初に設定され、おそるおそる世の中に足を踏み入れる「丹羽ハルカ」には、主体性や感情は希薄である。誰かに声をかけられ、答える。そこで出てきた言葉によって自分を知る。次に与えられたキャラクター「野田春眠」は、セックスが好きだという特徴的な嗜好がある。しかし、明確な恋愛感情を持つことはない。

 やがて病院を出て、自分と同じような生き物と出会い、他者と関わる中で、少しずつ主体的になり、感情の起伏や共感能力を得ていく。キャラクターが自在に変化することによって永遠に生き続けると思われた彼らが、明確な死を意識し、確かな愛情を得る瞬間は、不思議な感動に包まれる。長い旅の終わりの言葉は、韻文のようにたゆたう。私たちの「存在」に対する静かな問いを残して。

かわかみひろみ/1958年、東京都生まれ。94年「神様」でパスカル短篇文学新人賞、96年「蛇を踏む」で芥川賞、2001年「センセイの鞄」で谷崎潤一郎賞ほか受賞多数。日常から自然に非日常に飛躍する作風で読者を魅了する。19年紫綬褒章受章。

ひがしなおこ/1963年、広島県生まれ。歌人、作家。「草かんむりの訪問者」で歌壇賞、小説『いとの森の家』で坪田譲治文学賞。

川上 弘美

幻冬舎

2019年9月12日 発売