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当時の家賃は1万5000円

 1960年代は、米軍関係の仕事をする人のための超高級マンション。夫がアメリカ兵で、夫人はテレビの声の仕事をしている人がいて、一度、部屋を見に行ったことがある。部屋はあまり広くない。

 1970年代半ば以降は、カメラマン、デザイナー、コピーライターなどのオフィスになった。流行の発信地にもなる。小出版社がいくつかあり、1階にはブティックもあった。

 1980年代から、アパートは地上げの対象となる。オフィスをかまえることが〈かっこいい〉時代は過ぎていた。

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 私が住んでいたところは、近くのサラリーマンの母親の隠居所の2階で、6畳二間、風呂なしで、1万5000円だった。

 ちなみに、渋谷川という小さな川があり、その向う側のアパートに渥美清が住んでいたが、二間で電話、バス付きで、2万円から2万5000円した。

 近くに気楽な食堂がなく、われわれはラーメン屋か寿司屋で1食すませるしかなかった。

 この辺りが大衆化したのは、竹下通りや、セントラル・アパート前のラフォーレ原宿のおかげだが、盛り場といわれるわりには、お上りさんと中高生の群れはお金を落としていかない。また、映画館・劇場がないのも、盛り場らしくないゆえん。

 私個人は、ブルックスブラザーズやポール・スチュアートといった名前の店でシャツやスーツを買うだけで、アパレル・メーカーや女性向けのブランド店が長く頑張っている。

 

 今では、道の両側にコンクリートの建物が建ち、関西の女流作家を「こういう街が大阪にはない」と嘆かせたほどである。

 しかし、長い時間をかけて、そうなったわけで、はじめは古い日本家屋がならぶ昭和の街であった。ただ青山通りに向って左側が〈鉄筋コンクリートの集合住宅〉、有名な〈同潤会アパート〉であり、その特殊性を理解した人にのみ再建をたのんだという姿勢が独特だったということである。

 昔は倉庫のような、色気のない建物で、それなりに特色があったが、現在は地上4階、地下1階になって、街の景観の中に埋もれているキデイランド、名前の通り、〈子供の国〉であった。

 クリスマスの飾りやお面のようなものを売って、一躍、アメリカそのものと認められた現在では、ハロウィーンのお面やグッズを売って特色を発揮している。ハロウィーンの季節になると(ハロウマスの前夜、10月31日)渋谷で若者が意味を知らずに馬鹿さわぎをくりひろげる。その原点はといえば、長年、ハロウィーンのグッズを売ってきたこの店にあるといえる。

 ハロウィーンのみならず、よくわからぬお面や動物の見本もここにはあるが、子供の叫び声が地下1階から4階までひびいている。一見の価値はあるだろう。

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週刊文春

文藝春秋

2019年10月29日 発売