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「プールつきの豪邸に住んでやろう」国際弁護士を志した兄

 政宏は大学では法学部に入った。将来は国際弁護士になって、プールつきの豪邸に住んでやろうという漠然とした思いからだったが、大学生活も半ばをすぎたころには、好きだった音楽の道に進みたいとも思うようになる(※6)。進路が定まらないなか、父から相米慎二監督の映画のオーディションを勧められて受けた。結果は落選だったが、ここから本格的に俳優の道を考え始めた(※5)。大学4年のとき、大森一樹監督の映画『トットチャンネル』(1987年)で主演の斉藤由貴の相手役を務め、デビューを果たす。のちに駆け出し時代を振り返り、政宏は次のように語っている。

《1年目は若くてプライドばっかり高くて何もできなかった。もうボロクソに言われて投げ出しそうにもなりました。だけど、森田芳光監督の『悲しい色やねん』('88年)という映画に出た時に、監督に言われたんですよ。「おまえ、面白いよ。おまえは俺を楽しませることだけ考えればいいんだから」って。その時、人から必要とされる喜びみたいなものを感じて、すっかりこの仕事にハマってしまったんです》(※5)

54歳になった兄の高嶋政宏

「あの日、僕は変態になった」

 政伸も、1990年にスタートしたドラマ『HOTEL』で主人公のホテルマンを演じ、一躍脚光を浴びた。同作をはじめ初期は好青年の役が多かったが、一方で自主的な活動では、エログロな内容の朗読劇を演じたり、小説『闇の奥』(映画『地獄の黙示録』の原作)を難解な脚色で舞台化したりして、観客を戸惑わせることもしばしばだった。もともと彼のなかには、ホラー映画や不条理劇などの影響から、闇溜まりのようなものがあるという。ある対談では次のように語っている。

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《役者というか表現者は、基本的に闇に潜んでないといけないと思うんですよ。(中略)闇の中にいれば闇の中が見えるし、もちろん明るいところも見える。だけど、明るいところにいたら闇は見えないじゃないですか。(中略)人間って、やっぱり一色じゃなくて、表があれば裏もあるし、強くもあれば弱くもあり、美しくも醜くくもある。そうした世界を表現するためには、明るい役をやっているだけではだめなんじゃないかと》(※3)

 政伸は2011年放送のドラマ『冬のサクラ』で、妻を精神的に追い詰めていく夫を演じたあたりから、悪役を演じることも増えた。一方、政宏は1996年よりミュージカル『王様と私』で主演するようになり、発声を一から学び、演出家から徹底的に役づくりを叩きこまれる。2000年からスタートしたミュージカル『エリザベート』では狂言回しの役を務めた。しかし公演を続けていたある日、観客は誰も自分なんかに注目していないと気づき、そこで大きな変化があったという。