きょう10月29日は、俳優の髙嶋政宏の誕生日だ。1965年生まれの54歳。同じく俳優の弟・高嶋政伸は年子で、誕生日も10月27日とわずか2日違い。俳優の高島忠夫と寿美花代のあいだに生まれた兄弟は、同じ道に進みながら、それぞれ個性を発揮し、ドラマや映画、舞台で活躍している。政宏は昨年、自らのSM趣味をあっけらかんと告白した著書『変態紳士』を刊行し、話題を呼んだ。
今年6月に兄弟の父親の高島忠夫が亡くなったとき、筆者はふと、昔、雑誌で見た高島ファミリーの写真を思い出した。それは1988年、『週刊文春』の名物連載「家族の肖像」で写真家の立木義浩が撮影したもので、高島夫妻を囲むように、まだ成城大学に通う学生だった兄弟が写っていた。驚くのは、このころ政伸の右頬に大きなホクロがあったことだ。彼は俳優としてデビューするにあたり、そのホクロを手術で除去した。立木は撮影から5年後、撮影当時とその後の変化を振り返るなかで、《ビックリしたのは、(引用者注:政伸の)ほっぺたにあった大きなホクロがなくなってたこと。それだけ強い決意を持って役者を始めたんだろうな》と語っている(※1)。
「デカボクロ」と「肥満児」
政伸にとってホクロは大きなコンプレックスだった。高校時代より劇団「東芸」に所属したが、仲間たちが自分を見る目のなかに、《一種、言いようのない同情の色を感じ取って》いたという(※2)。道を歩いていても子供から「あっ、デカボクロ」と指差されることもあったらしい。それだけに俳優になるつもりはなかった。劇団に入ったのも演出家になりたかったからだ。それが大学時代、映画を自主制作して多額の借金を抱え、父に泣きついたところ、「おまえには監督の才能はない。俳優になれ」と言われる(※3)。だが、父と兄の付き人をしながら芸能事務所をいくつか回ったものの、入れてもらうにはやはりホクロがネックとなった。そこで一念発起して手術し(当時はレーザーではなくメスによる手術だったから、いま以上に抵抗感があっただろう)、俳優への道が開かれる。デビュー作は、大学在学中の1988年に出演したNHKの朝ドラ『純ちゃんの応援歌』だった。
兄の政宏は、政伸から見れば、自分を取り巻く環境のすべてをプラスに生かし、《勉強もできるし、スポーツも万能、モデルをするほどルックスもよく、女性にもモテる》、まぶしい存在であった(※2)。しかしその政宏にもコンプレックスはあった。父の出演番組の撮影に兄弟で同行し、打ち上げではいつもおいしいものをたくさん食べさせてもらっていたこともあり、少年時代は肥満児だったのだ。見た目が原因でいじめにもあった。そこで彼は高校2年の夏、サウナスーツを着て走り、夜は野菜だけを食べ続けてダイエットに成功する(※4)。本人によればそれはモテたい一心でだったという(※5)。