昨年、衝撃的な形で相撲界を去った貴乃花。「週刊文春」誌上で反響を呼んだ連載を一冊にまとめた本書「貴乃花 我が相撲道」では、「宮沢りえとの婚約と破局」「若乃花との兄弟対決」などについて、これまで明かすことのなかった心境を語り尽くしている。一部を転載する。
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「自分の愛情がなくなりました」
【第4章 宮沢りえとの婚約と破局 「破局の真相」より】
しかし、二人を待ち受けていたのは、思いも寄らない離愁だった。
1992年暮れ頃から、貴乃花と宮沢の破局情報が燻り始める。それが現実のものとなったのは、婚約会見から61日後。1993年初場所を終えた直後の1月27日、両者の話し合いをもって、婚約解消が決定したのだ。
同日、午後6時から単独記者会見を行った宮沢は、「強い横綱になってください」と最後の言葉を交わし、貴乃花に婚約指輪を返却したと明かした。
一方の貴乃花も、同日午後11時、藤島部屋で報道陣に囲まれていた。
「自分の愛情がなくなりました」
貴乃花の率直過ぎる発言を受け、集結していた記者の中から「横綱を狙う者の品格としていかがなものか」と容赦のない問いかけも飛ぶ。貴乃花は「無責任ですね。これから身につけたいと思います」と話すのみ。首尾一貫、破局に至った原因を「自分の力のなさ」と強調した。
盛大な祝砲から一転、スピード破談の事実は、世紀の婚約と同等以上の衝撃をもって世を駆け巡った。一国の宰相である宮澤喜一首相までが記者団からコメントを求められ、「そうですか。残念ですな」と、感想を述べている。貴乃花が全てを飲み込み、自分が悪者になることを覚悟の上で発したであろう「愛情がなくなった」の言葉も、方々で物議を醸した。今までになかったバッシング報道が追い討ちをかける。
「あの時はそう(発言)するしかありませんでした。お互いが自分の進むべき道にレールを戻すためには。テレビや新聞、雑誌は一切見ませんでしたし、周囲の騒ぎをよそに、自分の本分を取り戻さなければ、と思っていました」
貴乃花は2005年、師匠であり父の満氏が逝去した際、「週刊文春」に寄せた独占告白の中で次のように証言していた。
〈マスコミは折に触れて私とりえさんのことを掘り返しますが、私はともかく、彼女に対してあまりにも失礼だと思います。お互い、幼き時代に踏ん切りをつけて別れ、いまはそれぞれの人生を歩んでいるわけですから。彼女は女優という立派な道を歩んでいます。あの件はお互いの胸にしまってあるもの。他人に触れられたくありません〉(2005年6月16日号)