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「防寒を80着用意して欲しい」

 入社して間もなくは、上司が接客を担当。しばらく後に、それを引き継いだ。無類の映画好きだし、とくに健さんは学生時代からのファンであったが、無闇に映画のことを尋ねたりはしない。話すのはあくまで服のことだけだった。

「なぜでしょう。当時の店はそんな雰囲気があったんです。まずはしっかり服のことを話したい、というようなね。健さんはお洒落で、服にも詳しかったので、あれこれ説明する必要もありませんでしたけど。ただ会話の中では『あの映画ではこんな服を』というような話にもなりますから。そこで『この人は映画を見てくれてるんだ』とは、思ってもらえたのかもしれません」

数々の作品を遺し5年前に逝去した高倉健さん

 販売のプロとしての姿勢、あるいは心地よい距離感によるものか。いずれにしても、登地氏と健さんとの関係はその後、長く築かれていった。思い出はたくさんあるが、中でも記憶に残っているのは『ミスターベースボール』というハリウッド映画のロケでのこと。

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「明治神宮球場でナイターの撮影をしていたんです。10月でしたが、急に寒くなり、健さんから電話がありました。『スタッフに贈りたいので、防寒を80着用意して欲しい』とね。クルーにはアメリカ人も多いので、大きなサイズが必要。店の在庫では足りないので、N-3Bという軍モノのコートを扱う商社に電話して、用意したことがありました。今じゃダメだろうけど、急いでいたので、商品部もとばしまして(笑)」

 なかなかできることではない。過分なトークやサービスはせず。されど求められれば直ちに応じる仕事人。なるほど、名優・高倉健も頼りにするわけである。過去にはこんな逸話も。

 映画『007』の公開後、登地氏はジャケットの下にホルスターを装着し、ワルサーPPK(ジェームズ・ボンドが使用していた拳銃)のモデルガンを携帯して出勤。そのまま接客したとか。

「好きですから。やりたくなってしまったんです」

 好きならば、真っ直ぐに行動する。それもいい意味で“不器用”ということかもしれない。

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