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話し好きなブラッテンと違ってバーディーンは口数が少なく、「つぶやきジョン」と呼ばれるほどだった。ぼそぼそとした彼の話を聞くためには身を乗り出さねばならなかったが、耳を傾けるだけの価値があることは知られていた。

実験台の前に並んで座り、バーディーンがおだやかにアイデアを出すと、ブラッテンが夢中になってそれを試す。実験が終わると、バーディーンはブラッテンのノートに記録をとる。感謝祭の休暇が過ぎたことにも気づかないまま、ふたりはいろいろなパターンを試みた。シリコンのかわりにゲルマニウム、蠟ではなくラッカー、接点には金といった具合に。

1947年12月16日の火曜日、すばらしいことが起こった。ついに実験がうまくいったのだ。点接触型トランジスタの誕生である。

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その晩の帰り道、多弁なブラッテンは相乗りの車中でこう言った。

「人生で最重要の実験だった」

そのうえで、他言しないよう同乗していた同僚に告げている。

バーディーンは、いつものようにあまり口を開かなかった。だが、帰宅後の言動はいつもと違っていた。妻が台所でにんじんをむいているとき、おだやかにこうつぶやいたのだ。

「今日、大変な発見をしたよ」

理論家と実践家の協働がイノベーションとなる

20世紀最大級の発明であるトランジスタは、理論家と実験家がいっしょに取り組む共生的な関係のなかで、理論と結果をその場でぶつけ合うパートナーシップから生まれた。

舞台となったベル研究所は、70年も前から今日のシリコンバレーと同様の職場環境を実現していた。長い廊下を歩いていけば、ゲルマニウム中の不純物を操れる専門家や、表面準位を量子力学的に説明しても通じる人々に出会うことができる。あるいは、最新技術を知りつくしたエンジニアとカフェテリアで談義できる。

そんな「チームが自然発生する環境」がそこにはあった。

ショックレーは部下の発明に激しく葛藤していた

点接触型トランジスタ誕生の一報を聞いたショックレーはうろたえていた。チームの成功に誇りを感じていいはずなのに、部下への激しく暗い競争心のほうが大きくなっていたのだ。後年、彼自身もこう認めている。