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家に知人を招くことはなかった

「高倉が家に知人を招くことはありませんでした。例外は、水道屋さん、電気屋さん、植木屋さんです。その時は、高倉自身が直接対応していました。

 そのように高倉と2人きりの世界を、17年にわたり守り続けてきました。私が何かを言った途端に、この世界があっという間に壊れてしまうということは、最初に覚悟したことです。高倉と共に生きるということは、入山記録を残さず、地図のない山に“単独登攀”を挑むようなものでした。厳しい道のりは予想されましたが、途中のリタイアは絶対にしたくないと思っていました」

©共同通信社

「死んだフリをするのが得意でした」

 誰にも悩みを相談出来ない――ある意味では孤独な17年間にも思えるが、だからこそ見ることが出来た高倉健の姿があったという。

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「高倉はリビングのソファに寝そべって、死んだフリをするのが得意でした。両手両足を無理な方向に捻ったまま、息を止めて物凄い形相をしているんです。私が気づかないフリを続けていると、『いい加減に気づけよ! あぁ、疲れた』と大声で笑い出す。

 CDで曲を聴きながら、なんちゃって日本舞踊を踊りまくる姿も(笑)。

 高倉は、日常を楽しむ才能に溢れる人でした。だからこそ私も、この生活を楽しんで続けていけたのだと思います」

出典:文藝春秋」12月号

 インタビューでは他にも、毎日の食卓風景、養女となった理由、婚姻届の秘話など、高倉健の知られざるエピソードが満載。

 全文は「文藝春秋 電子版」の「高倉健『2人だけの17年』」に掲載されている。

文藝春秋

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高倉健「二人だけの十七年」