あたいってばその頃は思春期。
小さい団地(玄関から見渡せばキッチンと寝室とリビング全てが繋がっている古い集合住宅)に住んでて自分の部屋も無く、恥ずかしい話、自慰すらできなかったくらいにプライバシーが無かった。それに男性のカラダを性的に扱ったコンテンツ―ゲイ雑誌などは自宅に置いておけなかったので、性的欲求をガマンしまくっていたのに、それでも体は男性へと着実に成長していった。2次性徴とか成長期ってやつね。
別にあたいは自分の性自認(自分の性別の認識)が男だから、カラダが男性らしくなってもいいけど、母ちゃんはあたいが父ちゃんに似た青年に成長していくのを見て、思い出がフラッシュバックするのが耐えられないのか、男性らしさが自分のテリトリーにあるのが許せないような素振りを見せるようになったわ。父ちゃんの遺影もその頃押入れに隠すようになってたし、徹底して家から男を感じるモノを消し去ろうとしていたのだろう。
なんでそうなったかはキチンとは分からない、でも母ちゃんが嫌だと思うなら仕方ない。あたいは1日のほとんどを外で過ごすようになったわ。
近所にコンビニも無いような田舎。
あたいは学校の図書室で借りた本を団地の下で読んで過ごしていた。
姉ちゃんのバイトしているパン屋の廃棄パンを食べながら、街灯の下で静かに読書するのは存外楽しくて、あたいはわりと苦じゃ無かった。
けれど、田舎で夜中にフラフラと1人過ごしてるガキンチョなんて、まぁいない。あたいくらいだったわ。
そのせいであたいはご近所で目立つようになってしまい、学校でもそれとなくみんなに心配されるようになった。みんなも家庭環境に事情があるのに、あたいだけ気を使われて優しくされるのもなんだか居心地が悪くなり、平日の日中も学校をサボって公園で1人で読書するようになった。とにかく一人でいたかったの(放課後は仲のいい友達が一緒に図書室に行ってくれたりはしたけどネ)。
そうなってくると、やっぱりお節介な教師というものが立ちはだかる。
「もちぎ、お前、なんの本読んでるんだ?」
公園で1人ぼっち、偉人の半生を描いた伝記を読み終わって、公園内にある水道の蛇口から水を飲んでたあたいに、そう声をかけてくれた奇特な1人の先生がいたわ。
「エロ本読んでた」
あたいが真顔で冗談を言うと、先生は笑いながら、
「よし、一緒にエロ本でもなんでも読もう」
と近づいてきた。
正直あたいはなんやコイツって思った。
それがあたいの、後に初恋の相手になる先生。
K先生、53歳、国語の先生で、あたいの人生の先生となる人だった。
父は自殺、母は毒親ーー。ゲイの男の子が過酷な家庭環境でも生き抜いてきたこられたのは、かけがえのない出会いと愛があったから。おせっかいでも人の悩みを聞いて、一緒に考え、腐らずに立ち向かってみる、そんな「ゲイ風俗のもちぎさん」のルーツが明かされる初の自伝エッセイ『あたいと他の愛』が現在発売中です。もちぎさんの心に刻まれた14歳の初恋。