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「産むんじゃなかった」と言われても「辛いのは自分だけじゃない」と思っていた14歳のころ

2019/11/14
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 そんで生活保護を受けたりもしながら慎ましく生活することを余儀なくされた母は、姉に「給与明細が出ない自営業の店で働け」と押し付けた。父が死んだ当時の姉は17歳で、残りの高校生活1年間を通学しながら週6でアルバイトしてたわ。あたいはまだ働けない年齢だったから何も知らずにいたけど、その時の姉ちゃんはしんどそうにしてて、子どもながらにいたたまれない気持ちになったのを覚えてる。

 姉ちゃんは恐らくお給料のほとんどを家に入れていた。

 同棲して家を出るまで、高校卒業後も8年近く、ずっとバイトやら派遣の事務やらで働きまくって家計を支えてくれてたわ。

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 だけど母ちゃんはというと、隣町のゲームセンターのコインゲームが好きで、ほとんど働かず、家事もあんまりせずにそこに入り浸ってた。お金はそこに流れていた。

『あたいと他の愛』を読む

 まぁそういったちょっと先行きの暗い家庭環境で育ってたあたいだったけど、友達には恵まれて(というかたまたま風通しの良い環境の町や学校だった)、いじめも無く和気あいあいと中学校生活を過ごせたの。

 でも、ふと目を凝らして周りを観察し、耳をすませてみんなの話を聞いてみれば、

「うちは母さんと父さんがよくケンカをする」

「お兄ちゃんに暴力を振るわれる」

「父親にカラダのことをからかわれるから、女を辞めたい」

「俺の本当の母親はもうこの世にいなくて、今の母親は再婚相手だって最近知った」

 だとか、各々がつらい環境や生まれにあって、なにか抱えながらそれでも小さい体で必死に生きているんだって知る事ができたわ。

 あたいだけじゃない。

 辛いのは自分だけじゃないから、あたいもがんばって生きなきゃ。

 そう感じていたわ。

 そう思っていた矢先、ある日、あたいは母ちゃんに、

「だんだんとお前、男臭くなってきてキモい」と言われて、家にいることを禁じられてしまったの。ショッキング~。