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ラグビーの「ノーサイド精神」から考えたい、グラウンドで泣きじゃくる高校球児のあり方

これこそW杯最大のレガシーではないか

2019/11/13
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とにかく泣きじゃくる高校球児

 敗戦のドラマといえば、多くの人が高校野球を思い浮かべるだろう。高校球児はとにかく泣く。朝日新聞のデータベースで「泣きじゃく(る/った/り)」をキーワードに検索すると、2018年の1年間で74件がヒット。49件がスポーツの記事で、そのうち38件が高校野球である。それだけ高校球児が泣きじゃくっているのだ。

 高校野球の映像を確認すると分かる。両校整列になっても涙で(?)立ち上がれず、両脇を抱えられて列まで引きずられる投手。腰を折って泣きじゃくり続け、歩み寄る相手と握手することなくベンチへ引っ張られていく捕手。ある地方大会決勝の映像では、敗戦チームの内野手がグラウンドに伏して体をうねらせ、昭和の漫画の駄々っ子のように足をじたばたさせていた。球「児」と呼ぶ理由はこんなところにあるのかと思ってしまう。

泣き崩れる選手たちの姿は、もはや甲子園の風物詩だが…… ©時事通信社

 大学の講義で、高校球児の涙の理由を学生に問うと、必ずメディア批判が出てくる。メディアが選手の涙を商売にしているから、球児が泣くようになったというのである。涙をビジネスにしているのは事実だ。私も球児の涙について書いたことがある。だが、報道が涙の原因なわけではない。

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100年前から泣いていた

 早大野球部の初代部長として米国遠征を実現させるなど、日本学生野球の黎明期に絶大な貢献をした安部磯雄は、「野球の三徳」という文章の中で「敗北したる場合に悔し涙を流すとか非常に塞ぎ込むとかいふことをしないこと」(坂上康博「にっぽん野球の系譜学」青弓社)とプレーヤーの心得を記している。1905年のことである。

 米国留学経験があり、本場の選手のプレーぶりを知る安部は、負けて涙にくれる学生を苦々しく思っていたのだろう。日本の球児は100年以上前から敗戦を嘆いていた。全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園大会)が始まったのが1915年だから、甲子園より涙の方が古いのである。

©時事通信社

 涙は高校野球だけのものではない。歴史家のリチャード・マンデルは、1936年のベルリン五輪についての著書で日本の水泳陣に言及し「彼らは勝っても負けても泣いた」と記している(「ナチ・オリンピック」ベースボール・マガジン社)。リオデジャネイロ五輪の女子レスリング53キロ級決勝で敗れた吉田沙保里の姿は記憶に新しい。試合終了の合図と同時にマットに突っ伏して泣いたのは、伝統的な日本人選手の姿だったとも言える。

ただ悔しくて嘆いているなら問題外だ

 日本人の涙に興味を示した研究者がいる。日本文学者の故アイヴァン・モリス氏は、日本で涙は必ずしも弱さを示すものではなかったと論じた(「光源氏の世界」筑摩書房)。例えば主君の死を嘆く武士の涙は、悲嘆が心底からのものであることを表しているという。

 選手が敗戦直後に見せる嘆きは、そういったものがスポーツの世界に入り込んだ結果かもしれない。自分がどれだけ真摯に取り組んだかを外に向けて示す行為なのではないか。だとしたら涙は不要だ。すべてはプレーに表れる。

 ただ悔しくて嘆いているなら、もちろん問題外だ。思い通りにならないことがあったからといって泣きじゃくっていたら切りがない。

 近代競技スポーツは勝敗を争う。一方が勝てば、もう一方が必ず負ける。トーナメントになれば、最後の1人、1チーム以外は皆敗者となる。敗戦は避けられないものだ。だからどう負けるかが大切なのだ。