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性風俗で働く多くの少女らが抱えていた「不幸の種」

 里奈は組織売春の首領や性風俗で働く中で出会った多くの仲間の少女らが抱えていた「不幸の種」を、心底危惧していた。

「あたし以上に波瀾万丈な子なんか一杯いる。本当に可哀相なのは、想い出がそもそもないとか、悪い想い出しかない子だよ。理由? 理由は、そうした子は寂しさに負けていつも間違ったことをするからだよ。あたしいつも、周りの子に『寂しさに負けんな』って言ってきた。だってそれが1番ヤバいことじゃない? あたしも一歩間違えたらそうだったと思うけど、マジそれが1番ヤバいから」

 里奈自身は生活の安定しない養母の元で3人のきょうだいを下に抱え、飢餓を感じるような育児放棄を経験したり、そのきょうだいと泣き別れて児童養護施設に委託されて育った経験がある。

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 聞き取れるエピソードはどれもが「即座に児童福祉介入!」と言いたくなるものばかりだったが、幼い里奈にとってきょうだいは宝で、その傍には養母やその友人や遠縁のおばさんたちの手助けもあった。

 里奈が自分を「児童虐待やネグレクトの被害者」「子どもの貧困の当事者」扱いされることを拒否し、僕が彼女の養母への批判を口にすることも絶対に許さなかったのは、養母やきょうだいと過ごした貴重な想い出が、彼女にとっての支えだったからだ。

「本当に寂しくないとはどういうことか」がわからない少女たち

「寂しさに負けて間違ったことをする」

 里奈が主張していたのはこんなことだと思う。

 過酷な生い立ちから自力で立ち上がるべく売春やセックスワークに入った少女たちは、そうした自助努力の結果、「生活の安定と自立」を得た後に、必ず抱えてきた寂しさを「とりもどそう」とする。自らの身体を犠牲に、短期間は大きな稼ぎを得ることができる彼女らだから、そこにはホスト遊びやヒモ男のような、金と安心をトレードしようという誘いがつきまとう。

©iStock.com

 里奈が言うヤバい(=リスク)とは、彼女のように子ども時代に得た本当の暖かさや安心の記憶がない者は、その偽りの安心に安易に走ってしまうし、どうすれば「本当に寂しくない自分になれるのか」「本当に寂しくないとはどういうことか」がわからない。

 むしろ自分が寂しいことにも気づけないし、自分をなぜ大事にすればいいのかすらもわからず、いわゆるセルフネグレクトの傾向も大変強い。

 結果、その稼いだ金をどう使えば自分が安心する居場所を作れるのかも想像できず、正体の見えない何かを求めて、いつまでもリスキーなセックスワークの底辺界隈を彷徨い続けることになる。それこそが里奈の言う本当の不幸で本当に「心配な子たち」だった。