文筆家の内澤旬子氏が自らのストーカー体験を「週刊文春」に赤裸々に描き、大反響を呼んだ恐怖のリアルドキュメントの2回目。連載をまとめた『ストーカーとの七〇〇日戦争』(文藝春秋)が5月24日に発売されるにあたり、特別公開する。

(「#1 別れ話」より続く)

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 貧弱な私の脳の状況処理能力は、ピシピシとヒビ割れ、そろそろ限界を迎えようとしていた。インターネットで知り合い交際8カ月、なんかダメかもと思っていたところに、家に来たいと言われて断った途端、電話が鳴り止まなくなった。メッセンジャーでの別れ話のやりとりの途中で、懇願からいきなり逆上、怖いメッセージが止まらなくなってしまった。しまいには友人の病気を「週刊文春」に垂れ込むだの、島に来て警察やら友達知り合いの家に押しかけて嫌がらせするだのと言うから、警察に一応“相談”に赴いただけだ。

 それなのに。私が交際していた男は、偽名を使っていて、しかも前科があるらしいことが判明!? なのに本名すら教えてもらえないとは、どういうこと?? いや、落ち着け私。たしかマグショットって逮捕された段階で撮影されるんじゃなかったっけ。ということは、Aは勾留されただけなのかもしれない。えーと、ほら確か、デモとか座り込みとかでも警察官ともみ合いになれば逮捕されたりするんじゃなかったっけ?

「それで内澤さん、銃は現在ご自宅にありますか?」

※写真はイメージです ©iStock.com

 じゅう……ですか。生身の人間よりまず銃の心配か! なんて思ったわけではない(今になって思い返すと、ちょっと思うけど)。そりゃ当然だ。もしAが私の家に来てガンロッカーを開けて……なんてことになったら、大変なことになる。これまでも、もしどこかで猟銃による凶悪犯罪が起きたら、それから1年くらいは全国で所持許可が下りなくなると聞かされてきた。集団責任なのだ。何度も何度も本当に厳重な審査を経て、やっとのことで下りた許可なのだ。

 自分が撃てなくなるのももちろん嫌だが、有害鳥獣駆除のために頑張ろうとしている全国の人たちの許可にまで波紋が及んだら、申し訳なくて、殺されても成仏できない。幽霊になっても謝り続けなきゃならない。絶対に嫌。

私の猟銃が中折れ式なのは幸運だった

 とりあえず、私の猟銃が、中折れ式なのは幸運であった。自動式に比べて組み立て方が複雑なのだ。恥ずかしながら私自身、組み立てが、いまだおぼつかないでいる。あんなの、教わったこともない奴にできるわけがない。それにすぐ使えないように、ガンロッカーの中にはバラバラにばらした状態にして置いている。引き金にチェーンも通して固定してある。Aが最後に私の家に来たのは3カ月前だったろうか。弾薬を入れる装薬庫はおろか、ガンロッカーをどこに設置したかも知らないはずだ。

 それよりなにより、実は私は東京出張から帰宅したばかり。家を空けて出張するときには、単身世帯の場合、銃を銃砲店に預けて行かねばならないと言われている。出張から帰島すると同時に小豆警察署に駆け込んだので、銃はそのまま。島外の某銃砲店に預けたままです。