90年代にテレビ番組で初めて共演した時、みうらじゅんは女装していた。
唖然とするボクに対して、みうらさんは目を合わせず、平然と言い放った。
「これ今、マイブームだから」
あの日から四半世紀が経ち、マイブームの教祖は次々と趣味嗜好を変えているが、一貫として変わらないテーマがある。それは「エロ」だ。
「エロはエロスみたいに高尚じゃないし、エロティックのオシャレ感もない。卑猥という文学的香りもないし、スケベみたいに軽々しくもない」
――という本書の前書きの箴言に語り尽くされるエロとバカ丸出しの連載が80本分、一冊にまとまったのである。
由緒正しき『文藝春秋』には似つかわしくない、低俗語りのエロ本に、改めて真面目な解説も必要あるまい。
しかし、ボクが毎週、『週刊文春』を買って、最初にパックリと開帳するのは、老舗エロ頁の「淑女の雑誌から」ではなく、みうらさんの連載頁だ。
昨今、男性週刊誌の主流は、即物的かつ物量作戦的な“死ぬまでセックス特集”である。これに抗うように妄想的エロエッセイだけで孤軍チン闘する、みうらさんはまさに“サブカル界の渡辺淳一”。その絶倫ぶりは衰えることがない。
糸井重里を上に仰ぎ、町山智浩を「バカの町山」と下に扱うほど、みうらさんの業界歴は長い。しかしながら、多岐に渡る活動のおかげで入国カードの職業記載に毎回困るという、年季の入った「分泌業」者でもある。
特筆すべきは、「言葉を約(つづ)める」独自のセンスだろう。糸井流コピーの真髄をエロ方面に新釈したかのように、言葉の霜降り部分を削ぎ落として世間に布教する様は、神業にして下衆の極み。
みうらさんと折々に接してきたが、特に印象深いのは、ダッチワイフの「ひとみちゃん」だ。高級と呼ばれるモノを避けてきたみうらさんが、初めて手に入れた高級品であった。ボクはラジオ番組で、当時はまだ新妻だった彼女との夜の営みや将来像について尋ねたことがある。
みうらさんはすべてを赤裸々に答えたあとで、こう呟いた。
「やっぱ最期はバラバラかな……」