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記者として当たり前のことをすると目立つ

 途中から顔を出しながら画面に登場する森は「考えたら望月さんは記者として当たり前のことをしているだけだ。なんで僕は撮ってるんだろう?」と呟く。当たり前のこと、とはつまり、「疑問に思ったことをきちんと聞く。答えに納得できなかったら繰り返し聞く」という姿勢である。それをしていない記者が多いから、結果として望月記者が目立っているというのが、今のメディアの状況だ。

©2019「i-新聞記者ドキュメント-」製作委員会

 確かにここ数年で言えば、政治に関する記事は週刊文春に代表されるやんちゃな雑誌ジャーナリズムの方が元気があって、記者クラブに属する新聞・テレビの報道は、朝日新聞による「森友学園問題」のスクープなどはあったが、全体としては大人しい印象を受ける。その中で、望月記者の奮闘は特筆に値すると言っていい。

 カメラはそんな望月記者の取材の日々を丹念に追う。「伊藤詩織さん準強姦事件」「森友学園問題」「宮古島の自衛隊弾薬庫の存在発覚」(望月記者のスクープ)「菅官房長官と望月記者の官邸記者会見の攻防」などなど、いずれも“空気を読まない”記者だからできた仕事である。

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「森さん、こうきたか!」とうなる、圧巻のラスト

 様々な要素が詰め込まれ、濃密かつ速いテンポで進んでいくこの映画の圧巻はラストだ。森の映画はいつも「読後感」を大切にしてると思っていたし、私自身、ドキュメンタリーは終わり方が最も重要だと考えている。取材を始めるのはそう難しくはないが、どう終わらせるかは難問であり、監督の腕の見せ所でもある。

 未見の人のために詳しくは書かないが、私は内心で「森さん、こうきたか!」とうなった。第二次大戦中の歴史的な出来事の資料映像に、それまで全くなかった森自身のナレーションが入り、現在の日本の政治状況を交錯させながらエンディングへと向かう。映画を観てラストカットで鳥肌が立ったのは、いつ以来だろうか、と思ってしまったほどだ。

©2019「i-新聞記者ドキュメント-」製作委員会

 また本作での森は、これまでの映画よりも「演出的」だ。音楽の使い方やアニメーションの使用、基本2カメの撮影体制や、分割画面を使った編集など、ドキュメンタリーでありながらも、エンターテイメントの要素も入って飽きさせない。これは、スタッフの力も非常に大きい。「望月番」として撮影をしながら、時に森の姿も映し込んでいく難しいカメラワークによって、重要な場面をいくつもゲットしたカメラマンで監督補でもある小松原茂幸。そして、けれんみ溢れる編集で望月記者の疾走感、暴走感を表現した編集マンの鈴尾啓太。森よりも20以上年下の、彼ら若いスタッフに拍手を送りたい。