望月記者は「わかってないやつ」なのだろう
森達也監督作品と言えば、オウム真理教の内部を追った『A』や、ゴーストライター騒動で話題となった作曲家・佐村河内守氏を被写体とした『FAKE』が有名だ。いずれも、世間を騒がせメディアから糾弾された対象を、別の角度からとらえる手法をとってきた。その根底には、直接の取材対象ではないものの、裏のテーマとして「メディアの在り方を問う」という監督の強い意志が感じられた。それが今回は、そのものずばり、メディアのメインストリームとも言える新聞記者が取材対象だ。
その主役、東京新聞社会部の望月衣塑子記者が、沖縄・辺野古の新基地移設問題の取材をする場面から映画は始まる。望月記者は、官邸記者会見での菅官房長官との激しいやりとりが話題となったが、それは政治部記者と社会部記者の「お作法」の違いによるところが大きい。政治家の懐に入り込んで情報を得る取材スタイルをとる政治部の記者たちから見れば、望月記者は「わかってないやつ」なのだろう。だから彼女に対して同業者からも、「記者会見は、自分の思想信条をぶつける場ではない」といった批判の声が出ていて、良くも悪くも目立ってしまったというわけだ。
そして映画に映し出された実際の取材現場でも、望月記者は猪突猛進だ。新基地建設現場の土砂についての防衛省の説明に納得がいかない望月は、担当者を問い詰め、「どうして答えられないんですか!」と追いかけながらさらに激しい言葉を浴びせる。
私はこの冒頭の場面を観て、望月記者の正義感には脱帽したものの、「この担当者だって組織の一員で、決定権はないんだから、そんなに強く言わなくても……」と、少し引いてしまった。そして、彼女に対する毀誉褒貶があるのもやむを得ない部分もあるな、と思った。
「この人は、空気を読まない人だから」
だが映画が進むにつれ、望月記者の様々な面が見えてくる。いつも大きな荷物を持ち方向音痴でウロウロすること、無防備に大口を空けて食事をむさぼる様子、いつでも誰に対しても、思ったことを喋る姿……そう、彼女は裏表がなく、天然なのだ。
特に喋りに関しては、最近こういうタイプの女性をどこかで見たことがあるな、と思った。国連気候行動サミットでのスピーチで話題となった、スウェーデンの16歳の環境活動家・グレタ・トゥーンベリさんだ。彼女もまた、正しいと思ったことを口に出さずにはいられない正義感の持ち主であり、熱狂的な支持を受けながらも、一部から反発を招くところも、望月記者と似ている。
そのことが確信となったのは、取材で訪れた福島で、文部科学省の元事務次官・前川喜平氏が望月を評して言う言葉だ。「この人は、空気を読まない人だから」。
そこに至って、森監督の映画に込めた意図がだんだんと見えてくる。この映画は「空気を読む人」と「空気を読まない人」の話なのだ。「忖度する人」と「忖度しない人」と言ってもいい。