「大正・昭和の大礼」は京都で行われた
梶田氏は、とくに「即位の礼」と「大嘗祭」の違いについて、民俗学者・柳田國男の批判も引きながら、次のように述べる。
「『大正・昭和の大礼』と『平成・令和の大礼』の一番の違いは、前者が京都で行われたことです。
『即位礼』と『大嘗祭』をこのような形で京都で行うことで、一つの大きな変化が生まれました。『即位礼』と『大嘗祭』が併せて『大礼』と名付けられ、“一連の一つの儀式”という性格を帯びるようになったのです。
もともと『即位礼』と『大嘗祭』は、時期的にも、意識の上でも、別個のものと考えられていました。
『大正・昭和の大礼』では、いずれも、『即位礼』は11月10日、『大嘗祭』は11月14から15日に行なわれました。一連の儀式として次第が整備されたこと自体は悪いことではありませんが、問題は、京都に移動して行うために、どうしても性格の違う二つの儀式を近接した日程で行わなければならなくなったことです。
『即位礼』は、天皇の即位を内外に示すお祝いの式ですから、“賑やかに”に行なわれるべきものです。一方、『大嘗祭』は、神様に対して天皇が祈りを捧げる儀式ですから、本来は“厳粛”であるべきものです。貴族院書記官長として『大正天皇の大嘗祭』に奉仕した柳田國男は、『大嘗祭ニ関スル所感』という死後に公開された文章で、こう述べています。
〈華々しき即位礼の儀式を挙げ民心の興奮未だ去らざる期節に此の如く幽玄なる儀式を執行することは不適当なりと解せられたる為なるべしと信ず〉
『即位礼』の浮かれた気分が京都の町中に尾を引いて、『大嘗祭』にあるべき厳粛な姿を保てなかったというのです」
11月14日から15日に行なわれた「大嘗祭」を始め、「代替わり」に関わる一連の儀式を分かりやすく解説した梶田氏の「『即位の礼』『大嘗祭』秘儀の中身」の全文は、「文藝春秋」12月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。
「即位の礼」「大嘗祭」秘儀の中身