桜を見る会は「小さなこと」なのだろうか。
私は新聞なのに感情がみえる新聞を読むのが大好きだ。たとえば「産経新聞」と「日刊ゲンダイ」はその両巨頭だと思っている。
怒りの対象は産経が韓国と野党なら、ゲンダイは安倍政権。対照的だが擬人化すると“いつも怒ってるおじさん”というのは共通している。
その産経師匠は最近ますますイライラしている。「いつまで桜を見る会なんてやっているんだ」と。
「産経抄」は小言が全開
11月25日の一面コラム「産経抄」は小言が全開で目を引いた。
《「桜を見る会」をめぐって、小事を天下の一大事のように騒ぎ立てる野党の手法》
《国民は冷めている。》
そして《国会は、もっと大所高所から論議をすべきだ、なんて野暮は言わない。》と言いつつ、
《国会議員のみなさんも花見にうつつを抜かさないで、せめて本のひとつも読んではいかがかな。》
やはり産経師匠は天下国家のことを語れ! とご立腹なのだ。
ただ、神は細部に宿るとも言う。「小事」と言うが「大事」につながっていることはないか。小事での態度や振る舞いこそが「天下の一大事」にも同様に出ちゃっていることは。
「桜を見る会」SNS投稿突出 閣僚辞任より多く https://t.co/1DHwONJg1h
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) November 25, 2019
では桜から目を離し、日米貿易交渉をみてみよう。