「共謀罪」も「そのターゲットを決める時点で」
続いてこちらの記事は「共謀罪」について書いたもの。
「『恣意的な運用は日常茶飯事』 亀石弁護士が語る共謀罪」(朝日・2017年5月6日)
「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法の改正案が成立した場合、捜査権限の拡大に歯止めは効くのかと書き、弁護士に尋ねている記事だ。
記者は「政府は具体的な準備行為がなければ強制捜査はできず、乱用の心配はないとも説明しています。」
その答えが、
《準備段階の行為を把握しようとする以上、そのターゲットを決める時点で恣意が働かざるを得ない。》(亀石氏)
安保法でも、共謀罪でも、どちらにも懸念されてきた「力を持つ側の恣意的な判断」。
筋が悪いと判断するや、来年はあっさり中止
一方で、権力にはここまで疑り深くならないといけないのかとあのとき思った人もいるだろう。しかし今回見事に出たではないか。何が? 恣意的な判断が。
「桜を見る会」中止である。
筋が悪いと判断するや、来年はあっさり中止。吉田茂首相時代から続く歴史と伝統を一瞬で断絶。
首相主催「桜を見る会」2020年は中止
— FNN.jpプライムオンライン (@FNN_News) November 13, 2019
菅官房長官は13日午後、記者会見で、首相主催の「桜を見る会」について「来年は中止する」と発表した。https://t.co/wNyQgfXCSm#FNN pic.twitter.com/3FbAQ9TnUw
たかが桜と油断していたのだろうか。その分、力を持つ人の恣意的な判断がまざまざとリアルタイムで披露された。疑問に思われていることをほぼ説明せず、実行した。
共謀罪も安保法も桜を見る会も同じに考えたほうがいい。態度や振る舞いはすべてつながっている。そこに「小事」も「大事」も関係ない。
新聞はこれについてなぜもっと驚かないのだろう。不安視してきたことが眼前でおこなわれたではないか。
「シュレッダー」というパワーワードが
そして今回も出た公文書廃棄。逃げ続けた結果、「シュレッダー」というパワーワードが出てきて取り返しのつかないことになっている。三谷幸喜のコメディみたいだ。最後は「記憶にございません!」だろうか。
よく、桜の木の下には屍体が埋まっていると言うが、桜を見る会にはここ数年の「あったものがなかった」がすべて埋まっている。総決算なのである。
決して小さなことではないと思う。